ランニング好きライトゲーマー虫虎(小説家志望)の日記

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自分の非を認める勇気を持つことの大切さ

【前置き】

 どうも、虫虎です。今回は「自分の非を認める勇気を持つことの大切さ」について自分なりにまとめました。宜しくお願いします。

 

【自分の非を認めるのは難しい】

 人は誰しも自分の非を認めたくないものであります。自分の非を認め、謝罪し、反省することは、正直なところ屈辱的ではないでしょうか。できることなら、頭を下げたくない。しかし、全ての自分の行動が100%正しいということは滅多にないというもの事実であります。だから、自分に非が全くないという状況はないはずだと僕は考えています。自分にも省みなければならない点は大抵のことにはあるはずだと思います。


【冷静に自分の非を認める】

 全ての出来事に対して、どちらかが100%正しくて、どちらかが100%悪いということはあまりないのではないでしょうか。多かれ少なかれ何%かは自分に非があるはずです。その非を冷静に、そして、客観的に見つめて、反省をすることができるかどうかが、自己の成長に大きく関わってくると僕は考えます。例え、総合的に客観視しても自分の方が正しいと思えるようなことでもです。自分の非を認めずに、謝罪をせずに、突き進む場合と、ここは自分が悪かったなと立ち止まり反省する場合とでは将来的には大きな差が生じるのではないでしょうか。自分の非を認めることは辛く苦しいです。しかし、認めることで今後の自分のとって良い意味での成長や人間関係がついてくると僕は考えます。


【他人を攻めず、自分を省みる】

 相手も悪いかもしれないけど、自分も悪い。他人を攻めず、自分の非を認めることに重きを置くように心掛ける。大変なこともあるし、苦痛を感じるかもしれないけれども、将来的には自分にとってプラスのことでしょう。そのような考え方で行動していると、自ずと自分の非を作らない行動をするようになるし、精神的にも強くなれるし、人としての魅力も上がると僕は考えます。

 

【まとめ】

『自分の非を認めることは難しい。しかし、認めることができると、自分は成長できる』

 

その意識を頭の片隅にでもに置いておけるような人間でいたいと思います。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではない

(「嫌われる勇気」より)