【前置き】
どうも、虫虎です。今回は、綿矢りさ先生の小説「蹴りたい背中」について語ります。「蹴りたい背中」は、僕に超弩級の衝撃を与えた小説です。ネタバレありますので、ご注意下さい。宜しくお願いします。
【主人公ハツと同じ高校1年生の時に読んだ】
初めて読んだ時の衝撃は今でも忘れない。こんなにも僕の心理状態を文字として記している本を僕は他に知りません。主人公に感情移入するとかではなくて、殆ど自分のことでした。胸が苦しいけど、夢中になって読み進めた今まで読んだ中で一番共感したのが「蹴りたい背中」です。
自分の根幹にある価値観を書現している本だと認識しました。
【学校生活における孤独は恐ろしい】
学校という狭い社会集団の中に1人取り残される孤独という名の恐怖を知っていますか。もう一度書きます。学校での孤独は恐ろしい。体験したことのない人には理解しづらいことかもしれないけど、死とか老いとか恐怖とか絶望という大袈裟な表現がよく合っていると思います。「蹴りたい背中」は、そんな学校での孤独に溺れていってしまった女の子の心理描写が胸に痛いほど詰まっています。
【僕のガラスのハート切り刻んだ文章】
私たちはクラスメイトたちが楽しげに笑う度に、先生が班内で協力してスケッチをしましょうと言う度に、一つずつ老いていく。
(「蹴りたい背中」より)
心が痛くなるほど気持ちと状況が分かります。家庭科の授業の班決めが恐ろしくて学校を休んだことがありました。
とにかく“しーん“が怖くて、ボートに浸水してくる冷たい水を、つまらない日常の報告で埋めるのに死物狂いだった。
(「蹴りたい背中」より)
「死物狂い」という表現。たかだか会話のことで大袈裟かもしれないけど、死物狂いって表現はあながち間違いではないように感じてしまいます。
授業の合間の十分休憩が一番の苦痛で、喧騒の教室の中、肺の半分くらいしか空気を吸い込めない、肩から固まっていくような圧迫感。
(「蹴りたい背中」より)
物語の最後の方にある1文。絶望を感じざるを得ないです。
【まとめ】
30歳を越えて再読してみて、今振り返ってみると僕は当時この本に救われていたのかもしれないと思えた。自分の心の内面を細かく深いところまで共感してもらうことで、心が少しだけ楽になっていたように思う。あの時代に「蹴りたい背中」に出会えて良かったと感じました。