【前置き】
どうも、虫虎です。今回は「気にしない心」を持つことについて語ります。宜しくお願いします。
【周りの目や評価が気になる人】
僕は、周りの目や人の評価を必要以上に気にしてしまうところがあります。自分が他人にどう写っているのか、どう思われているのかということを常に考えてしまう性質があります。「あの時あんな行動をとってしまって大丈夫だったろうか」「あの時あんなことを言ってしまったけどどう思われただろうか」などということをつい考えてしまう。人の目や評価を気にして行動したり、人に合わせて行動するのって楽な部分や良い面もあるけど、結構疲れることもあります。「他人を思いやる優しい気持ち」は凄く大事だけど、それと同時に「自分らしく振る舞うこと」も凄く大事ではないかと問題提議してみます。
【他人の理想を演じる自分】
他人の理想となる自分を演じていると疲れますね。
僕の職場でのことを語ります。僕は人に気を遣いすぎる性格故に、上司にもっと後輩や周りの人に厳しく振る舞うようにと注意されることが多々ありました。
それが凄く嫌に感じていました。上司の評価は得たいけど、人に嫌われてまでは得たくないなーと感じていました。というか、できないんですよね。上司に言われるがままに行動するより、そのアドバイスを吟味して自分の行動は自分で決めて振る舞えるようにしようといつしか思うようになりました。
別段、人の評価を気にせず、昇進しなくてもいいんじゃないかと思うようになってしまいました。それよりも自分らしく振る舞い、自分のできる範囲で一生懸命行動していた方が気分的に良し、楽だなーと思うようになりました。
もう1つ僕の職場でのことを語ります。会社のとある先輩に周りの人への自分の評価を落とされるということがありました。他人にはよく思われたいと思っていた僕には辛い出来事でした。何も逆らえないままに周りの人に僕のことを悪く言われることが続きました。嫌だなーって思っていたけど、突如僕の中で「別にいっかー。周りの評価を気にしないで自分らしくいこう」と思えるようになってきました。今振り返れば、「他人の自分への評価を必要以上に気にしなくなれたこと」「自分が人に対して誠実に振る舞えていればそれでいいやと思えるようになったこと」に凄く感謝しています。
他人の評価や行動をありのままに受け入れる心の余裕を持つことは大事なことだなーと思いました。
【堂々としてればいい】
アドラー博士が仰っているように、「われわれは他者の期待を満たすために生きているのではない」。
他人の目や評価を必要以上に気にする必要はなくて、「自分らしく誠実に前向きに優しさをもって堂々と過ごしていけばいい」と僕は結論づけてみました。
【まとめ】
気を遣う、思いやることの大切さや美徳や素晴しさはよく分かります。それと同時に、相手を思いやってばかりで自分を削りすぎるのは良くないですね。バランスが大切だということかなと思います。
できることなら、自分の人間力や体力や精神力を強化して自分にかかる負担を最小限に留めて、人に対して思いやりをもって色んな沢山の善行をすると、凄く良い軌道に乗れるんじゃないかと僕は考えました。
アドラー心理学では、他者からの承認を求めることを否定する
(「嫌われる勇気」より)