【前置き】
どうも、虫虎です。今回は「勿体ない」っていう言葉について自分なりの意見を記述ます。よろしければお付き合い下さい。宜しくお願いします。
【勿体ない】
【勿体ないとは】
勿体無いとは、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している、日本語の単語である。
「物体(もったい)」とは、元来は仏教用語である。また、「勿体無い」は、もともと「不都合である」、「かたじけない」などの意味で使用されていた。現在では、それらから転じて、一般的に「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている」状態やそのような状態にしてしまう行為を、戒める意味で使用される。
(Wikipediaより)
ここでは、現代で一般的に使われている「勿体ない」の意味合いについて語ります。
【好きな理由】
自分の大事にしている価値観に合っているからです。
良い物を長く使うとか、すぐに新しい物を買うのでなく在る物を大事に使うとか、使いきった物の何か別の利用方法を探すとか、物を残さず使いきるとか、今ある物で楽しむとか、自分自身がそれらを実行できると気分が良いんです。
長く使っている物には愛着が湧くし、物を再利用できたり、使いきったりした後は気持ちいい感情が残るし、お金をかけず在る物で楽しめたら凄く得をした気分になります。買う時間も節約できますし。
そのように「勿体ない」という言葉を使って、物を大事に使うこと、物の価値を最大限に利用することが僕は好きな方だと思います。
【捨てられない人にならない】
「勿体ない」という価値観を大事にする上で気をつけなければいけないと感じることは「捨てられない人」にならないようにすることだと僕は考えます。
「もしかしたらまだ使えるかもしれない」、「いつか使うかもしれない」とかを考えてしまうのは良くないのかなと思ってしまいます。「勿体ない」の考えとは離れているかもしれないけど、そう思ってしまいます。そうならない為にも必要ない物は買わないように気をつけたいですね。
逆に使用価値の終わったその物を所持し続けること自体が勿体ないと考えたいです。物を置いておくことで生じる心の圧迫とか、心の迷いとか、場所の圧迫とか、維持費とかに繋がると考えたいです。
物が貯まりすぎるもの好きではないから、その線引きをしっかりと自分なりの判断基準を持ってやっていきたいと思います。
【物だけを対象としない】
「勿体ない」というと、物を対象にしている印象が強いけど、それだけではないと感じます。
出会いや機会などの面もあるかと思います。
成長や良縁や勉強や成功の機会が目の前にあるのに、勇気がなく手が出せなくて逃してしまう。そういう機会損失をしないように「勿体ない」という嗅覚をいつもスキルとして身に付けておくと人生がより良くなっていくのではないでしょうか。
【まとめ】
「勿体ない」という精神を携えておくと良いことがあるような気がします。
物を大切に使ったり、不必要な物は買わないように気をつけたり、本当に必要ないものだと判断できたら所持しておくのが勿体ないと迷わず捨てたり、色んな機会を大切にしたり、「勿体ない」精神を大事にしたいなと僕は考えています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
物があることが豊かなのではなく、物を大切に使う方法を知ることが豊か
(「禅、シンプル生活のすすめ」より)