【暗雲】
私と益田くんの恋は特に浮き沈みすることなく安定の一途を辿っていた。元々、大人しい私と心根の優しい彼だから衝突することもなかったのだろうと思う。
そして、付き合い初めて二度目の夏の事だった。
「裕子、俺、やっぱり東京の○○大学を受けてみようと思うんだ」
彼の表情は真剣そのものだった。
「えっどうしたの急に?」
私達は二人ともの希望する学部のあった地元の大学を受験することになっていた。
「だからさ、裕子は俺の事気にしないで、もっと上の大学を目指してみたらどう?」
「そう………」
私は何もないけどこの街が好きだし、将来の事を考えてみても想像が湧いてこないから、地元の大学でいいかなって思っていた。
「まあ、まだ時間はあるしゆっくり考えてみてよ」
彼は真面目な顔を崩さなかった。
急に東京の大学なんてどうしたんだろう。私は彼とこの街で心穏やかに過ごせたらそれで十分なのに。この時、私の心に少し霧がかかった気がした。
それからさらに数日が経ったある日の事だった。
いつも通り図書館で受験勉強をしている時に彼は口を開いた。
「志望大学の事考えた?」
私がここ数日避けてきた話題だ。その空気を察してか、彼は言いにくそうだった。
「うーん、よく分からなくてね」
「そっか」
私は何も言えなかった。それから、気まづくなってしまって、私達はずっと机に目を落としていた。
外では、そんなことお構いなしに蝉達が鳴いている。
【思いがけない回答】
高校最後の夏休みが終わった。周りは本格的に受験モードに入っている。
やっぱり少し彼との関係に陰りを感じてしまっている。そうは感じていても彼の事が大好きなことには変わりはない。大好きだからこそ、自分の思うようにして欲しいと望むようになってしまっているのかもしれない。
私には将来の事なんて分からない。彼とこの街で一緒に穏やかな気持ちでいれたらいいだけなのに。
私はずっと茫然としていたことを聞いてみた。
「あのさ、東京の○○大学の○○学部を受けるんだよね?」
「うん。そうしようと思っている」
「その学部って地元大学にもあるけど、そっちじゃだめなの?」
「いや、駄目って訳じゃないんだけど」
彼は困った顔をしていた。
「駄目じゃないけど?」
「都会に出て暮らしてみたくなったんだ」
「えっ?」
思いも寄らなかった答えに私は驚いた。
「どうして?大樹もこの街がすきなんだよね?」
「勿論、好きだよ。でも、何もないこの街にいて大丈夫なのかなっていう不安を感じるんだ」
「そうなんだ………」
私には彼の言っていることが理解できなかった。
「だからさ、もし他に行きたいところがないんだったら、裕子も○○大学を受けてみないか?」
「うん………考えてみるね………」
どうしたらいいんだろう。
【見送り】
私は何故か東京には行きたくないという漠然とした思いがあった。彼にも行って欲しくなかった。何か大きな変化が起こるのが嫌だったからだと思う。
今振り返ってみると、あの当時、頑なに行きたがらなかったのはどうしてだろうか分からない。たぶん、勇気がなかっただけなんだろう。
結局、私は地元の大学を、彼は東京の大学を受験した。
そして、幸か不幸か私達は二人とも合格してしまった。
「おめでとう、裕子も受かったんだね」
彼は優しく微笑んでくれた。
「うん、ありがとう」
「けど、離れ離れになっちゃうね」
「うん、毎日LINEするし、休みの日には帰ってくるよ」
「うん、お互い頑張ろうね」
そして、彼が東京へ旅立つ日、私は見送りに行った。
「またすぐ会えるよね?」
「勿論、LINEするよ」
「元気で頑張ってね」
この錆びれた電車が止まってくれたらいいのに。
なんて考えながら彼を見送った。何故だか彼がいなくなった街には本当に何もないように感じてしまった。
何処で鳥の囀りが聞こえた。