【優しさを選択した物語】
僕は自分で言うのも可笑しなことだけど、内気な気の良い人間だ。周りに必要以上気を遣ってしまうところがよくある。
会社でも先頭切って突っ走ることはなくて、周りとの調和を保ちながら無理せずに働いていた。同じ日々の繰り返しもそれほど苦痛には感じていなかった。そして、同じ仕事を文句も言わず粘り強く黙々とこなしていくことで、周りの信頼も少しずつではあるけど、獲得していってるような手応えがあったのも事実だった。
例え同じような日常であったとしても、毎日が全く同じということはない。そこには、小さな変化や違いがあるもので、そんなちょっとした変化の日々を楽しむことが僕にはできていた。
そんな僕もいつしか30代に突入していた。
下っ端として言われたことをこなしていた僕にも後輩と呼べる子達ができていた。僕は後輩達のことは好きだったけど、どうも頼み事をするのが苦手だった。
自分でできることは自分でやってしまいたかった。自分が動かずに他人に動いてもらうことに抵抗があった。それに加えて、人を注意したり、怒ったりするのはもっと苦手だった。
相手を建前では不快にさせるのが嫌というのもあったけど、本音としては人に嫌われることを必要以上に恐れていたのかもしれない。強気に出られないのは、優しい性格かもしれないけど、根っこの部分が臆病者だったのだろう。
そんな僕も最近上司によく言われることがある。
「お前はもっと人を注意したり、怒ったりできるようにならないといかん」
「人をまとめることができなければ、上へはいけないぞ」と。
確かにそうだと思う。人をまとめる力がなければ、会社組織内ではうまく立ち回れないだろうし、損をすることにもなりかねない。
ああ、人を怒れる人間にならなければならないのか。
そう心の中で呟けば呟く程に違和感ばかりが募っていく。そんなの自分じゃないみたいだと。
母からは「優しいだけが取り柄の子」、父からは「弟想いの優しい子」 と言われるような気の良さだけが取り柄の人間が優しさを捨てたらどうなるのだろうか。
人として一段上の高みへ登れるのだろうか。
いや、僕には何にもなくなるのではないか。そんな気がしてならない。
うーん、僕は思い悩み1つの解を導いた。
「昇進なんて上司の言うことなんて気にしないで、自分が思うように自分らしく振る舞えばいいじゃないか」 と。
まずは自分らしく生きることを考えたい。そう思った。人をまとめてバリバリ働くとか、会社や社会に貢献するとか、給料を上げて家族に楽をさせてあげるとか、大事だけど、まずは自分らしくいようっと。ひっくり返ったカナブンが起き上がれなくてじたばた体力だけを消耗するようなことはやめようっと。
自分なりに一生懸命頑張ったなら、結果はまあ気にしすぎてもしょうがない。自分にできること、なれる自分を磨きあげていったらいいのではないかと思った。
そう考えてみると、夜が明けて太陽が地上に少し覗いて光が溢れ出してきた気がした。