【前置き】
どうも、虫虎です。昭和のおばあちゃん的な優しさを持てたら素敵だなと思いませんか。今回は「優しさ」に焦点を当ててまとめてみます。宜しくお願いします。
【おばあちゃん的な優しさ】
優しさにも色んな種類があるかと思います。
困ったいる人を親切心で助ける優しさ、一歩踏み出せないでいる人の背中を一押しする優しさ、見えないところで行う優しさ、その人のことを思って敢えて突き放す優しさと、色んな形の優しさがあると思います。
その中で僕は昭和のあばあちゃん的な優しさが素敵だなぁと思いました。
優しいおばあちゃんは孫がやることに対して全肯定して応援してくれます。親なら子どものやることに対して、どうしても口出ししてしまうものです。「それは止めた方がいい」「それよりこっちの方がいい」とか。それも一つの優しさなんだけど、それに対しておばあちゃんは「わたしゃよく分からんけど○○ちゃんがやってみたいんならやってみんさい」と応援してくれます。決してどうでもいいからそう言っているのではなくて、孫がやることを肯定して好きにさせるんだけどちゃんと心配してずっと見守ってくれる。そんな優しさを昭和のおばあちゃん的な優しさと僕は定義してみました。
その優しさは安心感のあるとても居心地のいいものであり、孫にとって安全安心な存在のおばあちゃん的な温もりのあるもので素敵だなぁと僕は思います。
【誰かにとって安全安心な存在】
僕も誰かにとっての安全安心な存在でいたいけど、なかなか難しいのかなと感じます。会社員や父親としての立ち回りが難しくなるのかなと。
仕事では、八方美人となり周りとの調整もせずに全てのことを全肯定していたら、どこかで誰かと誰かが衝突することになるでしょう。
育児で子どものすることを全肯定していると、わがままな性格になってしまうかもしれないです。
だから、昭和のおばあちゃん的な優しさは定年退職して子どもも巣立ったからこそできるものなのかもしれないです
。
【それでもなお優しさを求む】
昭和のおばあちゃん的な優しさは立場的に難しいかもしれないけど、少しは見習って人に優しく接することを大事にしていきたいと僕は思う。人に親切にする、困っている人を助ける、人の役に立つ努力をする、そういう生き方をすることで気持ちの面で充実しておばあちゃんのような朗らかな笑顔になれるのかなと思います。
【まとめ】
優しさを持って接したいとき、おばあちゃんの存在をイメージするといいかもしれないという話でした。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
弱い人を守ることによって、強い人から攻撃を受けることがあるかもしれません。ときには、優しさを捨てて、誰かを切り捨てた方が楽になるかもしれません。それでも、優しい心を失わないでほしい。なぜなら、それが幸せになる唯一の方法なのですから。
(「働く君に贈る25の言葉」より)