【前置き】
どうも、虫虎です。今回はイソップ寓話の「アリとキリギリス」から学びを抽出してみます。宜しくお願いします。
【アリとキリギリスの概要】
季節は秋。キリギリスは自由気ままに音を奏でている。お腹が空くと近くに生い茂っている草を食べつつ、好きなことをして過ごしていた。一方、蟻は来たる冬に備えて食料を巣へ運び保存食を用意していた。
そして、季節は冬になった。あんなにあったはずの草は急になくなってしまった。キリギリスは飢えと戦う日々を送らなければならなくなった。一方、蟻は秋の間にせっせと蓄えた食料で厳しい冬を乗り越えることができたのであった。
【未来を予測する力】
蟻は冬の辛さを予測して蓄えを増やしていきます。未来はどうなっていくのか、今自分がやっていることは将来にどんな影響を及ぼすのか、ということを考えることはとても大事なことだと僕は考えます。
今の努力が未来の自分にどんな恩恵を与えてくれるのかを想像しながら頑張るとモチベーションが上がるのではないでしょうか。
【目先の快楽を追い求めると…】
目先の楽しいことや楽なことばかりを追い求めていると、将来の自分が苦しむことになるということをキリギリスは体現しています。
何も考えずに生きていると、向こう一年二年は楽しいかもしれないけど、五年後十年後には厳しい状況におかれてしまうことになりかねないです。仕事では嫌なことや面倒なことから逃げてばかりいると、数年後に自分の会社での価値や存在意義がかなり低くなってしまうでしょう。好きなものばかり食べて運動もせずに怠惰な生活を送っていると、数年後に大病を患うことになりかねないです。
【毎日の積み重ねが大事】
「現状維持は衰退だ」という言葉があるように毎日の積み重ねを怠ると大袈裟かもしれないけど生き延びることが難しくなってきます。
蟻のように毎日の少しずつの努力が未来の自分を助けてくれることになるということだと僕は考えます。生き延びていくと、いつか蟻が暖かな春を迎えれるように、いいことが待っているものだと思います。
未来は良くなっていくのだと考えて日々を一生懸命生きることはとても大事なことだと思いました。
【目の前にキリギリスがいたら】
蟻は秋の間にしっかりと準備していました。そこに秋の間遊び呆けていたキリギリスが飢えに苦しんでいたらどうするのか。
遊ばないで働いていた蟻の立場からすると、好き勝手遊んでいたキリギリスなんて助けたくないでしょう。
しかし、そこを気にしないで気持ちよくキリギリスが困っているからと手を差しのべることができれば蟻はかなりの徳を積むことになるのかなと僕は考えます。
そして、まず手を貸して上げてから教えて上げよう。来年も冬は来るのだから今度は秋の間にしっかりと準備するのだぞと。
もしも仮に次の年もキリギリスが蟻の助けをどのみち借りれるのだからと、蟻の努力を搾取しようと浅はかな考えを持って遊んでいたら、そのときは突き放してもいいのかなと僕は思います。
【まとめ】
この寓話からキリギリスのように遊び呆けずに蟻のように地道に働こうということを学びました。