【前置き】
どうも、虫虎です。今回はイソップ寓話の「ライオンとネズミ」から学びを抽出してみます。宜しくお願いします。
【あらすじ】
ライオンに捕まったネズミが命乞いをした。私を逃がしてくれたなら、いつかあなたが困っている時に助けに行きます、だから見逃してくださいとお願いした。ライオンはネズミに助けられることはないだろうと思いつつも、何となくの気まぐれでネズミを見逃した。
数日後、ライオンが人間の作った罠にかかってしまい、身体を縄で縛られてしまった。
「あぁ、しまった、俺もこれでお仕舞いか」とライオンが諦めてしまっていたところに、いつぞやに見逃したネズミがやって来た。「ライオンさん、今助けてあげますね」とネズミは縄を歯で削り千切ってライオンを助けることに成功した。
【見返りを求めない心】
この寓話の出来事は、自分が行った善行は思わぬところで返ってくる現象を表しているのかなと僕は思いました。ライオンは見返りを求めない気持ちでネズミにとっていいことをしました。仮にライオンが見返りを求めようとして、見逃してやるんだから俺のいうことを聞けというような態度を取っていたならば、罠にかかってしまった時に助けてもらえなかったかもしれない。
健やかに見返りを求めない心で困っている人を助けるという心持ちが大事なんじゃないかと僕は考えます。
【優しくされたらしたくなる】
人は誰かに優しくされると、その人に優しくしたくなるものかと僕は考えます。だから、優しい心を持って困っている人に手を差しのべたり、自分から何か与えるような日々を過ごしていると、何かしら何処かしら何かが返ってくるようになっているのが世の真理なのかなと僕は思います。
つまり、優しい心を持つことは優しい世界で生きることになるのかなと僕は考えます。
【小さな手間が大きな利益】
ライオンにとっては腹の足しにもならない程のネズミを我慢するのはそれほど辛いことでもない筈です。でも、ネズミを食べないことでネズミは一命をとり留めるという人生最大と言える程の恩を感じます。
時として、自分にとっての何気ない行動が誰かにとっては一生の恩として感じることもあるかと思います。例えば、家に入ってきた虫を殺さずに外へ逃がすとか、恵まれない子ども達に物資を送るとか、自分のちょっとした行為にでも感激して喜んでくれる虫や人がいることもあるかなと感じます。
だから、日々何かを誰かに与えることを良しとして過ごすのがいいのかなと思いました。
【まとめ】
見返りを求めず優しい心で人に与えると、自分が幸せになれるのではないかということをこの寓話から学びました。