【前置き】
どうも、虫虎です。物事には白黒はっきりさせたり、善と悪や良しと悪しで判断させたりといった二元論で片付けられないことが多いかと思います。けど、僕達は零か百かで物事を捉えたくなってしまいがちであるように感じます。今回は、そんな零百思考について考えてみます。宜しくお願いします。
【零か百でないこともある】
物事には零か百で判断できないことが多いかと思います。25のこともあるし、50のこともあるし、75のこともあります。善の中に悪があることもあるし、悪の中に善があることもあります。白黒ではなくて灰色のこともあるし、その濃淡も様々であります。
例えば、善い行いをしている人の心の中にも下心はあるし、悪いことをしたくないんだけどやむを得ずしている人もいる。
他にはダイエットでお菓子を食べないと決意したとして、三日我慢できたけど四日目は食べてしまったときに、それは零点になるのではなくて四日中三日我慢できたんだから75点であるとか。
そんな感じで物事は白黒分明しない場合も多々あるかと僕は思います。
【詳細に評価する】
だから、物事を詳細に多角的に見るようにした方がいいと僕は考えます。
できていないことは反省して、できていることは褒める。
できていないことばかりに焦点を当てて零点なんだと落ち込むのは良くないし、できているところはちゃんと認めて自分を褒めることも大事だと僕は思います。できている自分を認めることで精神を良好な状態に保てることだってあるかと思います。
絶望的に悪いことが起こってもそこから肯定的側面を探す。
調子がいいときこそ落ち度を探してみて慎重になる。
そんな風に物事を冷静にちゃんと見極めて零百思考に陥らないことが大事だと僕は考えます。
【零百思考をやめるメリット】
零百思考をやめると、白黒だった世界に色とりどりの色彩が表れるようになるのではないでしょうか。
苦手な人に優しくなれたり、自他の失敗を許すことができたり、多角的な視点を持てたりして、精神が安定しやすいと感じます。
良いか悪いか、善か悪か、零点か百点かに固執してしまうと、その物事に対して苛々したり、落ち込んだり、固執してしまうことになりかねません。そうなると、精神衛生上よろしくないです。
だから、零百思考をやめて、多角的に物事を捉える訓練や意識をすることで明るく前向きな人生が訪れるのではないかと僕は考えます。
【まとめ】
白黒はっきりさせなくてもいいことって世の中に沢山あるのではないでしょうか。
あきらめという言葉には、元来「明らかに見る」という意味がある。物事の真理をしっかり見定めること、それが「あきらめ」である
(「嫌われる勇気」より)