【前置き】
どうも、虫虎です。長い人生、仕事や家庭、試験勉強、冠婚葬祭などで忙しい時期というのは多かれ少なかれ訪れるものなのかなと僕は思います。そんな時間的余裕がないときこそ、幸せの種って見つけやすいのではないかと思ったりしたので、深掘りしてみます。宜しくお願いします。
【自分が本当にしたいことってなんだろうか】
例えば、大学生の時なんかは自分のことに使える時間が得やすいかと思います。その中で、サークル活動、飲み会、ランチ、友達と遊びに行ったり、旅行へ行ったり、好きなテレビや映画を観たり、小説や漫画を読んだり、ゲームしたりと何でもできる位に時間がある。そういう時間的余裕があるときって、意外と自分が本当にやりたいこと、優先度の高いことやなりたい自分像が見つけにくかったりするものなのかなと僕は考えます。
時間的余裕があるので自分を見つめられるはずなのに、上手く時間を使えないと自分が本当に望むことは見えてこないのかもしれないです。
【忙しいときほど幸せの種を見つけやすい】
そんな大学生が社会人になり、さらには家庭を持つようになると、時間的な制約がかなり増えてしまいます。すると、そこで、自分が望んでたことが見つかるものなのかもしれないと僕は考えます。
限られた自分の時間の中で取捨選択をして何がしたいのか考えることが増えるからだと僕は考えます。少ない時間の中で自分がやっていることが自分の本当にやりたいことなんじゃないでしょうか。
そして、ようやくこの事に気がつきます。「俺は何故学生時代にもっと勉強しなかったのだ」と「もっと有り余る時間を有意義に使えなかったのか」と。
もしも、今、自分の時間が沢山ある人はしっかりと自分のことを見つめて、なりたい自分像や望む未来や本当にやりたいことをちゃんと考えるといいです。
時間的な制限が多くなった人は、過去を嘆くのではなくて、今から効率的に動いて時間を捻出して自分の幸せについて動いてみるといいです。
【見つけた幸せの種を育てよう】
自分を見つめたり、忙しいときにやりたいことの取捨選択をしたりして、自分が本当にやりたいことや望む未来や幸せの形を思い描くことができたら、その種を大事に育てていこう。水をあげて、土を替えて、肥料を与えながら幸せな時間を育てよう。
好きなことをして幸せになって、その種から芽が出て花が咲くのって、凄く素敵なことだと思いませんか。
【まとめ】
なんとも抽象的な話になってしまったけど、忙しいときこそ自分の幸せについて考えれるものなのかなと思うという話でした。