ランニング好きライトゲーマー虫虎(小説家志望)の日記

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読書「幸せになる勇気」感想

【前置き】

どうも、虫虎です。今回は「幸せになる勇気」という本の感想を書いてみます。宜しくお願いします。

幸せになる勇気

幸せになる勇気

 

【どんな本か】

「嫌われる勇気」の続編ですね。「嫌われる勇気」はアドラーの教えを説明していて、本書「幸せになる勇気」はその教えの実践法を説いてるという形になっています。アドラー博士の教えには共感したけど、アドラー心理学を実生活で使っていくのが難しく感じている人にお薦めですね。

 

内容は、前回同様、青年との対話形式で、三年間アドラーの教えを実践してみたけど上手くいかないんだよねっていう悩み相談となっています。僕自身は、「嫌われる勇気」を読んで、その内容に共感してて続きである「幸せになる勇気」を読みたいな思いつつも、三年以上経ってしまっていました。偶然だけど、三年間隔を空けて本書を手に取ることになったのに運命を勝手に感じてます。以下は、少し内容に触れみます。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

 

【これからどうするの?】

人は辛いことがあって、その話をするとき、「悪いあの人」と「かわいそうな私」と「これからどうするか」という三つの論点に分けられるそうです。

 

人は「悪いあの人」と「かわいそうな私 」の話をして慰められることはあるけど、前へは進めない。その話をしてもネガティブな内容なので本当の意味では心は晴れないし、本質的な解決には至らない。それより「これからどうするか」という話をしなければいけないのだということです。

 

読んでいて確かにそうだなと腑に落ちました。本当に前に進みたければ、「これからどうするか」の話をするのが大切ですね。

 

やはり劇薬だなーと感じました。

「われわれが語り合うべきは、まさにこの一点「これからどうするか」なのです」

(「幸せになる勇気」より)


【褒めてはいけない】

これが難しいなと僕は感じますね。褒めるという行為は自分が上の立場に立って下の者を評価するという縦の関係になるので、横の関係性を提唱するアドラー心理学では良くないです。そうではなくて、尊敬の感情を持って対等な関係性として接するのをよしとします。

 

自分の子どもや会社の後輩などに対して全く褒めないでコミュニケーションを取るのは難しいと僕は感じます。子どもが良くできたことはついつい上から褒めてしまっている自分がいます。ではなくて、子どもも一人の人間であることを念頭に置いて接していって、自信をつけて自立してもらうのってなかなか難しいなと感じますね。これは褒めなのか、尊敬なのかっていう線引きも難しいように感じます。

 

またこの辺りのことは自分の中でしっかりと考えてまとめたいなと思います。そして、上手く実践できるように模索していきたいなとも思います。

「ほめることは「能力のある人が、能力のない人に下す評価」であり、その目的は「操作」である」

(「幸せになる勇気」より)


アドラー心理学は更新される】

現代の人間関係は、アドラー博士の生きた時代と違いSNSなどのインターネットツールの発達で変容しています。インターネット以外にも人の助けをあまり借りなくてよくなるような便利な家電や一人でも楽しめる娯楽も増えているかと思います。

 

勿論、アドラー心理学の本質は変わらないにせよ、今の時代に適したアドラー心理学を模索していくことも大切なのかなと本書を読んでいて考えました。

 

「あたらしい技術が生まれ、あたらしい関係が生まれ、あたらしい悩みが生まれます。人々のコモンセンスは時代にあわせてゆっくりと変化していきます。われわれはアドラーの思想を大切にするからこそ、それを更新していかなければならない」

(「幸せになる勇気」より)


【まとめ】

アドラー心理学については色々と考えたいことがあるので、また、ブログ内に色々と感想を書き記していきたいですね。