【前置き】
どうも、虫虎です。今回は、仕事に関して思うことということで、「正論」に焦点を当てて考えてみます。宜しくお願いします。
【正しいけど最善じゃない】
正論は正しいことを主張してて、否定されることもないんだけど、振りかざしてもあまりいいことはないように感じます。何か間違いをしてしまって誰かに正論を振りかざされたときは、「んなこたぁ分かってんだよ」って気持ちになることが多いように僕は感じます。
例えば、ある仕事をしてて、業務上の効率を重視して何かの作業を短縮したとします。それは、業務上の決め事を守っていないことで正すべきことであったとします。それを誰かに「やらないと駄目でしょ」と言われても分かっててやってることだから、「そうなんだけどさ」という何か言いたいけど相手が正しいから何も言えないというようなモヤモヤした気分になってしまいます。
だから、正論は無敵の主張なんだけど、相手は嫌な気持ちになることが多いのではないかと僕は考えます。
【相手のことを理解する】
誰かが間違ったことをしたときに相手の立場に立って考えてみます。
仮に、先程の例をとって、作業の効率化を考えて、工程を短縮したとします。そんなとき、相手が何故そんなことをしたのかを聞いてみたり考えてみて、「作業の効率化をしたかったからかな」と理解をしてみる。
それを理解した上で、仕事を省かなくても効率的に作業できる方策や仕組みを模索してみます。それでもどうしようもないなら上長に作業を省くという効率化の打診をしたり相談してみます。相手のことを考えてそんなことを一緒に取り組んでみて駄目なら「やっぱり大事なことだしやろうか」という正論に落ち着く結果になってくるものかと僕は考えます。
結果は同じかもしれないんだけど、頭ごなしに正論を投げつけるより、相手のことを理解しようとしてるので、人間関係的にもいいのではないかと思います。
【正論を疑ってみる】
後は、正論と仕事を絡めて考えてみるときに、会社での正論を疑ってみるのもいいかもしれないと思いました。
挨拶はちゃんとすべきとか、友達は大切にすべきなどの覆しようのない正論ではなくて、会社内に歪んだ正論、例えば、昔からそうしてるからすべきとか、こういうときはこうすべきとか、人を動かすなら厳しくすべきとか、こういうルールだからこうすべきとか正論っぽいんだけど、会社が作った歪んだ正論を覆していくこともできるのではないかと僕は考えます。
そういう会社の凝り固まった牙城を打ち崩していくことで革命を起こすこともできるのかもしれないです。
一方で、郷に入れば郷に従えというように、角を立てないように会社の正論に黙って従うというもの一つの手法ではあるとも思います。
革命家になるか、平和的民族になるか。
【まとめ】
今回は仕事と正論について考えてみました。正論を主張しても人は嫌な気分になることを念頭に置いておく、頭ごなしに正論を振りかざすより相手を理解しようとする、会社の正論を疑ってみるとのもいいという話でした。
人は誰しも、いいところもあれば、悪いところもあります。多くの場合、それらは表裏一体になっているものです。だから、常に、その人のよいところに着目することです。これを習慣にしてしまうのです。
(「働く君に贈る25の言葉」より)