【前置き】
どうも、虫虎です。今回から「アドラー心理学」について自分なりに考えたことを書き記してみます。第一回目は「原因論と目的論」について考えます。宜しくお願いします。
【原因論ではなく目的論】
人が行動する理由は、何か原因があってのことではなくて、目的があってのことであるとのことです。
例えば、学校へ行きたくないと登校を拒否している人がいるとします。普通に考えてみると、その人は学校で何かしらの嫌なことがあったという原因のため、行きたくないという意思を表示しているように思われます。しかし、アドラー博士は、学校へ行きたくないという目的を果たすために過去のトラウマを引っ張り出しているのだということを提唱しています。両者は似ているようで全然違う考え方です。
もう一つ例を挙げると、私はお酒を飲めないというのが原因で甘いものが止められないと言う人がいるとします。しかし、目的論を推奨するアドラー博士は、甘いものを食べるという目的を果たすために酒が飲めないという言い訳を引っ張り出しているというわけです。
つまり、何か自分がこういう風に行動したいと意思をもった時、その行動へ自分を突き動かす原因があるわけではなくて、行動するために過去のトラウマや言い訳を引っ張り出しているということだと解釈しました。
言い換えると、アドラー博士は過去にトラウマは存在しない、言い訳するんじゃないよと仰ってるということになります。なかなか厳しい思考法であると感じざるを得ないです。けど、何だかこの思考に惹かれている自分もいたりします。
【言い訳思考を止める】
手厳しい価値観のアドラー心理学ではあるけれども、何事においても原因論ではなく目的論を用いて物事を考えるようにすると、心が強くなり、晴れ晴れするものではないかと僕は感じました。
自分の欲求に対して自分はどんな過去のトラウマや言い訳を引っ張り出しているのだろうか。
時間がなくて好きなことができない言い訳を仕事や家事のせいにしてなかったか。
自分がコミュニケーションが苦手ということに対しての言い訳を大人しくて優しい両親の影響のせいにしてないだろうか。
仕事が楽しくないという言い訳を苦手なあの人のせいにしてないだろうか。
そんな風に自分はどんなトラウマや言い訳を引っ張り出しているかと考えてみました。
反対に自分のこのトラウマや言い訳は何の目的のためにしているのか。
人付き合いが苦手と言うのは、内心傷つきたくないからか。
ストレスが溜まってると言うのは、内心甘いものが食べたいからではないか。
今日は疲れたと言うのは、内心家事をやりたくないからかではないか。
心が疲れたと言うのは、内心慰めてほしいからかではないか。
自分の言い訳には何の目的が隠されているんだろうと考えてみる。そっか、弱音を吐いてしまうのは、話を聞いてほしいからなんだみたいなことがなんとなく分かりました。
自分の中の目的や言い訳を探してみることで、自分をより深く理解したり、自分を律したり、相手の意図を汲み取ったりすることができるようになるのではないでしょうか。
【厳しいアドラー博士】
過去のトラウマなんか引っ張り出してんじゃねぇ。言い訳してんじゃねぇ。甘えんじゃねぇ、と教えてくれるアドラー博士は厳しいんだけど、何故だがこの考え方に惹かれる自分がいます。
この教えを学んでいけば自分の精神レベルが上がって、見える世界が変わってくるのではないか。
アドラー博士が提唱する価値観というのは、過去に縛られない美しい世界観なのかもしれないです。
【まとめ】
アドラー心理学について、自分なりに考えて学んでいこうと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
我々は原因論での住人である限り、一歩も前に進めません
(「嫌われる勇気」より)