昆虫好きライトゲーマー虫虎の日記

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アドラー心理学「運命の人などいない」

【前置き】

どうも、虫虎です。今回は、アドラー心理学の教えの一つである「運命の人などいない」について考えてみます。宜しくお願いします。

 

【運命の人などいない】

誰もが夢を見て望み焦がれている「運命の人」。そんな運命の人、白馬の王子様や美しい眠り姫などは存在しないと、アドラー博士は仰る。がっかりとしてしまうかもしれないけど、「幸せになる勇気」という本の愛についてのところを読み進めていくと、運命の人などいないという考え方も素敵だなと僕は思えてきました。

 

【自分が愛するか決める】

運命の人などいない。自分が愛すると決めた人を愛するだけです。自分からただひたすらに酸いも甘いも苦も楽も受け入れながら全力で愛するだけです。相手が自分の愛を必要としてくれるように愛するだけです。けど、その愛を最終的にどう受けとるかは相手に委ねるしかないのです。愛とはそうやって作り上げていくのだとアドラー博士は仰ります。

 

人は自分が愛した分だけ愛して欲しいと思ってしまうものです。だけど、相手が愛を返してくれるのかとやきもきするよりも、自分が愛した人の反応がどうであれ、全力で愛するだけです。ただ、それだけです。

 

嫉妬、やきもち、見返りを求める心を取っ払ってしまい、ただ自分から愛するだけ。そういう考え方も世界がシンプルに清々しくなっていき、いいなと僕は感じました。

 

【運命を作ることはできる】

運命の人などいないのだけれども、自分が愛すると決めた人との過ごした日々の軌跡、それを「運命」と呼ぶことはできるとアドラー博士は仰ります。つまりは、自分自身の手で運命を作り上げることもできると。

 

ああ、そういうものなのかなと僕は思えてきました。

 

例えば、10年苦楽を共にして思い出を作りながら連れ添った嫁がいたとして、その嫁と見ず知らずの女の人とどっちが運命の人なのって旦那に聞いたら、10年連れ添った嫁と答えると思います。けど、仮にパラレルワールドがあったとして、その旦那が見ず知らずの女の人と先に出会い付き合って結婚したとして、後から嫁が現れるパターンになったとする。すると、今度は運命の人はその見ず知らずの女の人となると思います。結局は自分が愛すると決めた人が運命の人となるものなのかもしれないですね。

 

自分の愛するという行為が上手くいかなかった場合は、それは運命の人ではなかったということになるのかと思います。運命の人になるか、そうではなくなるか、それは自分の行動によるところも大きいのかなと感じます。

 

運命は作れる。決めた人に全力で愛を注ぐ。そして、応えて貰った日々が運命となっていく。そんな考え方が素敵だなと僕は思いました。積み重ねた思い出や愛した日々が大事なのでしょう。

 

一つ、注意しないといけないと思ったのは、自分が愛すると決めた人に愛を注ぎ続ける過程で、愛を奪われ続けるとか、何か違和感があるとか、そういうことを感じたならば、全力で愛せなくなるわけだから、撤退した方がいいのかなとも思いました。

 

【まとめ】

今回は、アドラー心理学の「運命の人などいない」という題材で思うことを語ってみました。厳しい教えだけど、素敵な感じだなと思いました。

パートナーと一緒に歩んできた長い年月を振り返ったとき、そこに「運命的ななにか」を感じることはあるでしょう。その場合の運命とは、あらかじめ定められていたものではない。ふたりの努力で築き上げてきたものであるはずです

(「幸せになる勇気」より)