【前置き】
どうも、虫虎です。今回は、アドラー心理学における「普通であることの勇気」について語ります。宜しくお願いします。
【普通であることの勇気】
人は誰しも、一度は平々凡々な人生ではなく、何か特別なことを成し遂げたいと夢見るものかと思います。
歴史に名を残す偉業、何かを成し遂げた達成感、大きな社会貢献、世に残る素晴らしい作品、そういったことが自分の生きた人生の意味になると思ってしまうものかもしれません。
しかし、アドラー博士はもっと普通であることの勇気を持てと言います。
人生に基本的に意味などなくて、普通であっても今を一生懸命生きればそれでいいのだ、と。
【普通を受け入れる】
確かにそんな風に普通である自分を受け入れることって良好な精神を保つことにおいて凄く重要なことであるなと僕は思います。
現代は成功する人が増えてはいるけど、実際に特別な人はまだまだほんの一握りです。つまり、大半の人は普通の人となります。
特別な人と普通の自分を比べて、落ち込んでしまうのではなくて、普通の自分を受け入れる。
受け入れた上で、普通の自分ができることを一生懸命頑張ればいいのだと僕は思いました。
普通であることの勇気というのは、今の自分を認めることと言い換えることもできるかと僕は考えます。
【普通の自分を大事にする】
普通の自分がこれだけ頑張った、普通なりにもやれることやったぞ、普通だけど工夫凝らして成し遂げたぞ、普通に貢献できてるぞ。
普通の自分を受け入れて、自分なりの頑張りを自分なりにほめてあげる。それだけでいいのではないでしょうか。むしろ、そうすることしかできないのではないでしょうか。
普通、普通、普通と書いてて何をもって普通なのか分からなくなるけど、要するに、ありのままの自分を好きになれれば頑張れるのではないでしょうかと結論づけてみました。
【まとめ】
普通の自分を認めること。そして、認めた上で自分のできることを全力でやる。やったら自分をほめてあげる。人の能力値は人それぞれなんだから、それでいいというか、そうするしかないということかなと思いました。
普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」が「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。普通であることは、無能なのではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです
(「嫌われる勇気」より)