【前置き】
どうも、虫虎です。このブログ内で勝手に開催していたアドラー心理学祭りも今回で最終日とします。最後は、ベストセラーとなったアドラー心理学の指南書「嫌われる勇気」の題名になっている「嫌われる勇気」について自分なりに考えてみます。宜しくお願いします。
【嫌われる勇気】
本書「嫌われる勇気」の主張というのは、決して他者に嫌われてもいいから自分の好き勝手に生きようぜということではないです。
人は誰しも多かれ少なかれ他者に嫌われないように行動してしまうところがあります。嫌われない行動というのは、言い換えれば、他者に他者の思い通りの人生を歩まされていることになってしまいます。
そうならないように、自分らしく生きようとアドラー博士は仰ります。けど、ただ好き勝手に生きるのではない。幸せとは、自分が誰かの役に立っているという実感から感じ取れるものであるから、他者貢献をしよう、と。
他者に関心を持ち、他者の役に立つことをする。それは、決して他者から承認を求めることに重点を置かないで、あくまでも自分が他者に貢献しているのだという主観を得るために行うことが大事なのであるとアドラー博士は仰ります。
それには、無理に他者に嫌われる必要はないけど、嫌われていても構わないという考えをもつことが大切です。
【他者の顔色を窺う僕の人生】
僕は今まで他者の顔色を窺いながらずっと生きてきました。友達の気を悪くさせないように、先輩の意見に合わせるように、親の機嫌を損ねないように、上司を怒らせないようにと、他者の思う僕をずっと演じてきました。
それが人間関係を穏便に且つ良好に保つ方法だと信じてやまなかったです。確かに、この方法は間違ってなくて、他者の思う自分を演じることで人間関係に波風は立ちにくかったです。けれども、それって自分の人生を他者に委ねてちゃんと自分で考えて歩めていなかったんだということを本書を読んで気づきました。
自分の持っていた価値観に亀裂が入った感覚があります。このままじゃより良い人生を歩めないよな、と。
けど、勿論、数十年培ってきたこの性格をすぐ180度変えるのは難しい。だから、その僕の価値観に入った亀裂を自分のできる範囲でどんどんピッケルでほじっていきたいと思えました。
まだまだ人の顔色を窺ってしまうことは多々あるけど、今の自分がちゃんと誠実に行動したとしても嫌われるなら、別にそれは構わない。
また、そこから自分の他者貢献のやり方を自分が思うように勝手にアップデートしてけばいいんだっていう感覚を持て始めているような気がしています。
そうなると、世界の見え方が少しずつ変わってきた感じがします。
【嫌われる勇気を持った先の未来】
本書に出会って数年ですが、この嫌われる勇気という考えを自分の価値観や行動規準にどんどん取り入れていった先には、きっと自分らしく生きやすい幸せな人生があるのではないかと僕は考えます。
無理に嫌われる必要はないけど、自分が強くなってちゃんと他者貢献の導きの星に沿って誠実に行動した場合、その過程で自分のことを嫌う人がいたとしても別に構わない。全ての人に好かれる必要もなくて、自分がその人と付き合うかは自分の課題として、自分が決めたらいい。
自分は強くならなくちゃならないけど、強くなってアドラー心理学を実践できれば、きっと素敵な自分になれる。
本書を初めて読んだとき、僕はそう直感しました。
【まとめ】
嫌われる必要はないけど嫌われたって構わない。そう思えたきっかけをくれたのが「嫌われる勇気」でした。
「たしかに嫌われることは苦しい。できれば誰からも嫌われずに生きていたい。承認欲求を満たしたい。でも、すべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自由きわまりない生き方であり、同時に不可能なことです」
(「嫌われる勇気」より)