ランニング好きライトゲーマー虫虎(小説家志望)の日記

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コラム「もしも、明日、隕石が落ちることが分かったらどうしますか」

【もしも、明日、隕石が落ちることが分かったらどうしますか】

もしもの話です。もしも、巨大隕石が地球に向かってるのに誰かが気がついて、それが明日には落ちてしまい人類の滅亡は免れないという状況になってしまったらどうしますか?

 

世界は大混乱してしまうでしょう。

 

好き勝手に他人の迷惑顧みずに暴れまわる人もいれば、やり残したことをする人もいれば、嘆き悲しみ続ける人もいれば、会いたい人に会う人もいれば、生き残れる術を探し続ける人もいれば、信じずに普通に過ごす人もいれば、祈り続ける人もいれば、愛する人とゆっくり過ごす人もいればと、人の行動は色々と考えられますね。

 

まあ、でも、世界最後の日、世界が混乱し、混沌に満ちているときにできることってたかが知れてるのかもしないです。

 

狂気に満ち溢れた人々が怖くて家から出られないかもしれないし、そんな日にレストランや公共交通機関で働く人もいないでしょうし、実感持てずに時だけが過ぎていくかもしれないし、正直なところ何もできないのかもしれないです。

 

よくて愛する人たちに最後の別れをするくらいができることなのかもしれないです。

 

そこで、僕が思うことは、世界最後の日に何をするかではなくて、最後の日だと決まったときに「ああ、楽しい人生だったな」って心の底から感じれるようにそれまでの日々を一生懸命全力で生きることが大事ではないかということです。

 

まだまだやりたいことはあるんだけど、十分に幸せで楽しい人生だったなって思えるように日々を生きることが大切なんです。

 

でも、そう思うために、仕事をやめて貯金を切り崩しながら他人の迷惑を顧みずに遊びまくろうということを僕は言いたいわけではないです。

 

未来はちゃんと続いていくはずですから、ちゃんと生活できるように働いて、その上で色んなことを楽しんで、自分が幸せになれるにはどうしたらいいかを考えて生きることが大事だと思います。

 

自分が好きなことをして稼げるように努力するとか、勤め仕事を一生懸命して充実感を得るとか、仕事はそこそこに余暇時間を全力で楽しむとか、大事な人との時間を大切にして愛と感謝をちゃんと伝えるとか、自分が幸せになれるように行動するとか。

 

自分が幸せで、周りの人たちもそれに続いて楽しんでくれてる状態を目指して生きていくことが大事なんじゃないでしょうか。

 

別に隕石が落ちずとも寿命で命が尽きるとき、幸せな人生だったなって思えるように過ごすことが生きている意味であり、生きる目的なんじゃないでしょうか。

 

なんてことを書いてみました。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。


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