【前置き】
どうも、虫虎です。今回は、いじめについて考えてみます。僕自身は、いじめの標的になったことはありませんが、友達がクラスにいない時期もあったのでいじめられる可能性はあったのかなと自分の学生時代を思い返しています。また、テレビやニュースなどで見ることのある過激ないじめを目撃したこともありません。しかし、いじめはいつも近くにあったように感じます。過激な攻撃はないまでも、無視したりとか、疎外したりとか、嫌味を言ってみたりとかの行為はありました。前置き長くなりましたが、いじめについて考えてみます。宜しくお願いします。
【いじめはよくない】
当たり前だけど、いじめはよくないですよね。やっぱり、如何なる理由があろうと加害者が100%悪いと言い切ってもいいのではないでしょうか。よくいじめられる側にも問題があるなんて言われることもあるけど、そんなのは加害者の言い訳でしかないと思います。
加害者の思いやりの欠如、後先考えてない短絡的思考、同調圧力による思考停止、目先の楽しさを優先する理性の欠如が挙げられると思います。
いじめが原因で自殺したなんて事件をニュースで見かけるときがあるけど、やりすぎにも程がるし、絶対にいじめはやってはいけないなと強く感じます。
【相手の立場に立って考える】
思いやりの原点に立ち返って、相手の立場に立って相手の気持ちを全ては分からないまでも自分なりに推察することが大事だと考えます。
恐らく、いじめている方はいじめられている方がどれだけ精神的に追い詰められているかなんて考えれていないのだと思います。ムカつくからちょっと無視してやろうと軽くやったことが、相手にどれだけの精神的ダメージを与えることになっているかは想像を超えている場合が多いのではないでしょうか。
それから、加害者はいじめをしたことで、気持ちが晴れることなんてあるのでしょうか。いや、晴れることはないしょう。だから、満たされない心からいじめは次第にエスカレートしていくのだと思います。いじめる方もいじめられている方もどちらも心を傷つけ傷つけられているのだから、負のスパイラルに陥り、そこに救いはないのではないかと僕は思います。
そして、きっといじめられている方は一日中怯えてて、思考もそれに縛られることが殆どで精神が蝕まれ続けてしまいます。
いじめに関わらず相手の立場に立って、気持ちを想像してみることは大事なことだと思います。
【いじめを受けてる人は逃げよう】
いじめを受けている人は逃げるべきだと考えます。
置かれた場所で咲きなさいという言葉もあるけど、自分が咲ける場所を探す方がもっと大事だと思います。
花だって土壌や気候の合わないところであれば、育つことはありません。人間だって同じで、自分が花咲ける場所とそうではない場所があります。
現代は一昔前と違って色んな可能性があります。色んな逃げ場があります。
いじめを受けててもう駄目だと感じているなら、転校・転職すればいいと思います。転校が叶わなければ家で勉強すればいいと思います。仕事だって広い世界を見渡せば自分に合った人間関係のところもあるはずです。
逃げても自分を卑下するのではなくて、自分には合わなかったのだなと思うようにして、次のところでまた頑張ってみるとよいかと思います。
よくないのはいじめを理由に立ち上がる勇気をなくすことです。咲き誇れる場所はどこかにあるはずです。
自己分析をして良いとこ悪いとこ調べて、合いそうなところを探して、育つ努力をしてみるという挑戦する心が大事だと思います。
いじめられている人がそこを切り抜けて、トラウマなど感じず、新たな場所で咲けるように頑張っていただけたらと思います。
【まとめ】
最後、いじめに悩んでる方へのメッセージになってしまいましたが、たまたま辿り着いた何処かの誰かの参考になれば幸いだなと思いました。