ランニング好きライトゲーマー虫虎(小説家志望)の日記

ゲーム、ランニング、文章書き、読書、昆虫、子育て、オナ禁、映画、人間関係、音楽、僕が考えていることなどを書いている雑記ブログ

幸せは「なる」ものではなく、「感じる」もの

【前置き】

どうも、虫虎です。今回は、幸せに「なる」と幸せを「感じる」の違いについて考えてみました。宜しくお願い致します。

 

【幸せになりたいはちょっとおかしい】

意味は伝わるけど、正確には幸せは「なる」というより「感じる」ものだと僕は思っています。「なる」であれば、正しくは幸せな状態に「なる」でしょうか。

 

その「なる」と「感じる」には重大な違いがあるように思います。

 

【幸せになるは難しい】

幸せになるって難しい気がします。長い年月をかけて「なる」というイメージです。

 

例えば、恋人作って一緒に暮らす状態になるとか、お金を稼げるようになって好きなものを買える状態になるとか、家族作って団らんできる状態になるとか、大きな夢や目標を達成した状態になるとか。

 

幸せになるというのは大仕事のような印象を受けます。

 

【幸せを感じるのは易しい】

対して、幸せを感じるというはハードルが少し下がる印象です。

 

例えば、美味しいものを食べるとか、暖かい布団で眠るとか、好きな小物を揃えるとか、景色のいいところに行くとか、誰かと笑い合うとか、運動して汗をかくとか、珈琲片手に読書するとか。

 

幸せを感じるというのは割とすぐにできそうな気がします。

 

【「なる」でなく「感じる」のが大事】

言葉の受け取り方の問題に過ぎないけど、幸せに「なる」は「なる」状態までが大変そうです。

 

だから、幸せは「感じる」ものだと思おうという話です。

 

どうしたら、自分の心や体は幸せを「感じる」のかを考えて実践してみる。

 

その幸せを感じることを繰り返した先にいつの間にか幸せに「なっている」のではないでしょうか。

 

小さな幸せから感じていこうということですね。

 

【まとめ】

幸せは「なる」ではなく「感じる」ものというイメージを持つといいという話でした。

 

ここまでに読んでくださってありがとうございました。


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