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気を遣うメリット・デメリットから生き方の考察

【前置き】

どうも、大河高士です。今回は、気遣いについて語ります。よろしくお願いします。

 

【気を遣うメリット】

周りと円滑なコミュニケーションが取れる。

 

困ったとき、助けてもらえる可能性が高くなる。

 

悪口を言われにくくなる。

 

【気を遣うデメリット】

単純に気が疲れる。

 

舐められやすくなる。

 

あれこれと時間を浪費する可能性がある

 

【メリットとデメリット】

気を遣っていると、周りからの印象が良くなって環境が快適になります。しかし、その気遣いの分、自分の神経はすり減ります。勿論、例外はあるだけど、一般的にはそうかなと思います。

 

それを天秤にかけて、どう周りと接するかが重要になります。

 

気遣った分、快適な環境になるけど、それをするために自分がどれくらい疲れてしまうか。その見極めが大切になります。

 

【悪口を言われにくくなる】

それと、悪口を言われにくくなるというのは、大きなメリットだと私は考えています。

 

よく周りを気にしすぎると気疲れするし、他人の人生を生きると同義になってしまうと言及されます。

 

確かに、他人の顔色ばかり伺う人生はしんどいです。しかし、自分らしく生きるという意味を履き違えて、傍若無人に振る舞うと周りの反感を買います。

 

そして、悪口を言われる。

 

悪口も気にするなという言及が昨今は多いけど、結構、悪口を言われるのって自分にダメージがあります。気にしなければその言葉自体に害はなくなるのだけど、その負のオーラを受け取ってしまいます。また、悪口が広がって周りに悪い印象を持たれると、さらに、負のオーラを受け取ってしまいます。

 

周りの対応が悪くなるというのもあるし、エネルギー的にも何か目に見えないマイナスなモノを受け取るように私は思います。

 

だから、人の顔色を本能的に窺う人が多いのではないかと考えています。そして、悪口を言われないように無意識的に振る舞ってしまう。

 

反応の大きい小さいの差はあれど、皆、そういう悪口への防衛本能が備わっているように思います。

 

【立ち回り】

じゃあ、どうすればいいのかというという問いの私なりの回答は「顔色は必要以上には窺わず、自分の誠実だと思う態度で周りと接する」です。

 

人の顔色を窺うのはしんどいし、自分の人生じゃない。けど、好き勝手に振る舞うと、悪口を言われて、気にしないとしてもネガティブな何かを受け取ってしまう。

 

だから、性善説を信じ、幸福とは他人に貢献する瞬間にあるという価値観を作り出して、自分なりの誠実さをもってして周りと接するといいと私は考えます。

 

自分の誠実さが相手にとってうまく伝わらなくても、それでいい。

 

自分がいいと思ってやったのなら、後悔する必要はない。

 

それと、大抵の善意は、そんなに悪く受け取られないでしょう。

 

そういう風に生きていったほうがいいんじゃないかと私は思っています。

 

【まとめ】

以上、気を遣うのか遣わないのかの話をしました。

 

他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるもの

(「嫌われる勇気」より)