ランニング好きライトゲーマー虫虎(小説家志望)の日記

ゲーム、ランニング、文章書き、読書、昆虫、子育て、オナ禁、映画、人間関係、音楽、僕が考えていることなどを書いている雑記ブログ

怒りを振り撒いてると、その場は楽だけど、最終的には人が離れていく

【前置き】

どうも、虫虎です。今回は、定期的にする「怒り」のことについて語ってみます。宜しくお願いします。

 

【怒りやすい人】

すぐに頭に血が登って怒る人やちょっとしたことですぐに機嫌を損ねる人に対して、周りの人は少なからず気を遣ってしまうものかと思われます。だって、怒ったり、機嫌が悪くなられたら、面倒臭いからです。

 

そうして、周りから気を遣われるから、怒りやすい人というのは日々を快適に過ごしていけるのではないかと僕は考えます。

 

【いずれは人が離れてく】

周りの人に気を遣われながら快適に過ごしていると、次第に周りから人がいなくなっていくと僕は思います。

 

仕事や家族や友人の繋がりはすぐに絶ち切れるものではないから、形だけは続いていくけど、心は見えないところでどんどん離れていくのではないでしょうか。

 

もうあの人とは関わりたくないからなるべく距離を取ろうとか、仕事上では付き合わないといけないけど、本音としては嫌だから最低限のコミュニケーションだけに留めておこうとか思われてしまうのが関の山ではないでしょうか。

 

そうなると、怒りやすい人はカメムシが臭い匂いを放って敵を退けるように、嫌なオーラが出て人が離れていくと僕は考えます。

 

【関係を繋ぎ止めようとする】

人が離れていくのが何となく分かると、怒りやすい人はその繋がりを繋ぎ止めようとまた怒りだす。

 

「おい、俺に対するその態度は何だよ」「なんで私を避けようとするのよ」など怒って繋ぎ止めようとする。

 

けど、そんな努力も虚しく人は止まることなくどんどん離れていくと僕は考えます。

 

【怒りによるコミュニケーションはよくない】

怒りながら人に気を遣われて快適に過ごしていると、周りの人からは関わりが必要なくなれば切られるし、仕事や家族や友人の繋がりがあっても少しずつ心の距離は開いていくと思います。それを怒りによって繋ぎ止めようとしてもまた離れていく。

 

怒りによるコミュニケーションはその時は人が自分の思い通りに動いてくれて楽だけど、心は凄いスピードで離れていくものであると僕は考えます。

 

だから、怒りによるコミュニケーションは良くないと僕は思ってしまいます。

 

【まとめ】

今回は、怒りについての考察でした。ここまで読んでくださってありがとうございました。

叱責を含む「暴力」は、人間としての未熟さを露呈するコミュニケーションである。叱責を受けたとき、暴力的行為への恐怖とは別に、「この人は未熟な人間なのだ」という洞察が、無意識のうちに働きます

(「幸せになる勇気」より)