【前置き】
どうも、虫虎です。アドラー心理学の「われわれは、他者の期待を満たすために生きているのではない」という考え方は、自分の人生を歩む上で大事なことだと思うので、深掘りして考えます。宜しくお願いします。
【他者の期待を満たすために生きているのではない】
人は他者の期待を満たすために生きてるのではないとアドラー博士は仰ります。
親がいい大学へ進学しなさいと言うから私はその期待に応える。
上司が満足するような仕事する。
友達が気を悪くしないような言動をする。
自分の意見は違っても多数派の意見に合わせとく。
これらは全て他者の期待に応える行動であって、他者の人生を私が生きていることになります。アドラー博士は、他者の人生を生きるのではなくて、自分の人生を生きよと仰ります。
【期待に応えないと生きづらい】
とはいえ、他者の期待に応えないと自分の取り巻く環境も悪くなる可能性があります。
親の言うことを聞かなければ、一つ屋根の下に住む空間の居心地が悪くなる。
上司の言うことを聞かなければ、昇進の機会を逃してしまう。
友達との間の空気を読まなければ、遊びに誘われなくなる。
周りの意見に合わせなければ、孤立してしまう。
そんな風に他者の期待に応えないと自分に不利益が被ってしまうと恐れがあるから、無意識の内に他者の人生を歩んでしまっていたんだと思います。
それでもなお、それは、他者の人生を歩むことで自分の人生を歩めてないよとアドラー博士は厳しくも提唱するわけです。
確かにそうなのかもしれない………と僕は思いました。
僕は他者の顔色を窺って生きてしまってるところがあります。多少の気配りは必要だとしても、顔色を窺い過ぎるのはよくないのかもしれないです。
【考え方を変えよう】
他者の期待に応えないと自分に不利益が被る時も勿論あるでしょう。けれども、勇気を持って他者の期待を満たすという行動方針を変えないと道は開かれないのかもしれないです。
やりたいことがあるなら親の反対を押しきってでも全力でやってみる。
上司の意見もあるけど自分の考えに基づく仕事をしてみる。
友達の間でも空気を読まずに言いたいことを主張してみる。
反対意見があれば迷わず主張してみる。
意外とそういう生き方の方が自分らしくいれます。
頑張ってたら親は認めてくれるかもしれない。
上司と違った切り口が評価されるかもしれない。
友達が減っても他の友達ができるかもしれない。
反対意見を言うことで逆に打ち解けれるかもしれない。
自分らしくいることで、いいことだってあるかもしれないのです。われわれは、他者の期待を満たすことに囚われすぎているのかもしれないです。
少しずつでも他者の期待に沿ってばかりの人生から脱却してみる。勇気は必要なんだけど、その意識が自分の人生を好転させてくれます。
周りの環境は操作できないけど、そういう行動規準をとることで少なくとも自分の心は健やかになるのではないでしょうか。
【まとめ】
われわれは他者の期待を満たすために生きてるのではない。そう言われると、なんだか自分勝手な人になれと言われてるような気もします。だけど、人の顔色を窺うのではなくて、自ら相手の喜ぶことや感謝されるようなことを自発的にしていくという考えを持つという方向性はいいものと思います。
バランスは大事だけど、勇気を持って自分の主張を押し通すことも大事なことですね。
われわれは、他者の期待を満たすために生きているのではない
(「嫌われる勇気」より)