【前置き】
どうも、虫虎です。今日も今日とてアドラー心理学の話題です。今回は、頼まれ事をされたとき、その課題は誰の課題になるのかについて考えます。宜しくお願いします。
【課題の分離について】
課題の分離とは、アドラー心理学の用語で自分と他者の課題を明確に分離させることをいいます。
課題の分離の利点は、自分の課題には他者を介入させない、他者の課題には自分は介入しないことを意識することで対人関係を良好に保てるということです。
だから、これは誰の課題なのかを考えてみることはとても大事なことです。
【頼み事をされたとき、課題は持ち主を変えるのか】
課題の分離に関して、僕が考えておきたいなと思ったことは、人に頼み事をされたときは、その課題は他者の課題から自分の課題に移動してしまうのかということです。
僕の結論から書くと、まずその頼まれた課題を受けるか受けないかが自分の課題になり、次に受ける場合、その課題をどう取り組むかが、自分の課題になると考えます。
その頼まれた課題にどう立ち向かっていくかで自分の人生が日々少しずつ変わっていくのかなと思います。
例えば、仕事の資料作りや家事の洗濯などを頼まれたとします。それを、受けるか受けないか決めるのは自分の課題。
何故なら、受けるか受けないかの選択の最終的な結末を引き受けるのは自分になるからです。資料作りするなら、仕事への貢献はできるけど自分の持ってる仕事は捗らない。洗濯するなら嫁さんへ貢献できるけど時間と体力は少し消耗する。
つまり、その頼まれ事をやるかやらないかの影響を受けるのは自分となるので、これは自分の課題と言えるかと思います。
余談ですが、やると決めたら全力でやるのが気持ちよくていいなと感じます。
それから、受けない場合。極端な例をあげてみると、人にあの人を陥れてくれと頼まれたとします。でも、自分はそれを受けたくないと感じたとします。その課題を受けるか受けないかを決めるのが自分の課題だから、受けないことを主張して、頼んだ人との関係性が悪くなる結末を受け入れなければならないということになるかと思います。
その人との関係性を続けるか断ち切るかを考えるのは、自分の課題となります。
【課題のコントロール】
それから、課題の量をコントロールするのも大事なことであるなと考えました。
課題の量は人それぞれ違います。
元々、自分が持っている課題が沢山あるのに頼まれ事もされるという課題が多すぎ状態な人。
反対に、課題を避けすぎて課題が少なくて持て余して余裕ある状態な人。
課題が多すぎると、自分の許容量を越えてしまい辛くなる。
課題が少なすぎると、本来取り組むべき課題をちゃんとこなせないので、より良い人生を歩めなかったり、暇をもて余して他者の課題に介入しがちになり、トラブルを起こしやすくなる。
だから、課題の量をできる限りコントロールするのがいいと僕は考えます。
課題が多い人は、こなせるところから確実にこなしていって、人から何かを頼まれないように工夫して新たな課題を避けるようにしておく。
課題が少ない人は、自分の課題を自分で探したり、人から頼まれやすい雰囲気や実力作ることが大事になると思います。
課題は、自分の許容量を越えないように、かつ、少なくなりすぎないようにとバランス調整して無理なくちゃんと取り組めるようにした方がより良い人生を歩めると僕は考えます。
【まとめ】
他者から頼まれたら、それは自分の課題になる。
課題は増えたり減ったりするから、調整できるところは調整することが必要という話でした。
課題の分離は、他者を遠ざけるための発想ではなく、複雑に絡み合った対人関係の糸を解きほぐしていくための発想なのだと考えてください
(「嫌われる勇気」より)