昆虫好きライトゲーマー虫虎の日記

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アドラー心理学「幸せとは、貢献感なのか?」

【前置き】

どうも、虫虎です。アドラー博士は、幸せとは貢献感であると仰っているけど、本当にそうなのかということについて考えてみます。宜しくお願いします。

 

【幸せとは貢献である】

自分が他者に貢献できていると実感できたときに、人は幸せを感じれるのだとアドラー博士は仰ります。百々のつまり、幸せとは貢献感なのである、と。

 

確かに人の役に立っているときって、嬉しくって幸せな気分になります。けど、その貢献感以外にも幸せはあるのではないでしょうかと僕は思いました。

 

【貢献感以外の幸せ】

貢献感以外の幸せもあるのではないかと僕は考えます。

 

美味しいご飯を食べる、暖かいお風呂に浸かる、毛布にくるまり横になる、家族団らんする、友人と出掛ける、豊かな自然を眺める、一人静かにゲームする、読書する、生き物に触れるなど、貢献感という幸せではないけど、そこには確かに幸せだっていう感情があるように僕は感じます。

 

これらも幸せと呼べるのではないでしょうか。

 

【貢献以外の幸せも回り回ると貢献感を得る行動とも言える】

僕は貢献感以外からも幸せを感じれると書きました。そういう幸せもありますが、その幸せも実は、貢献感を得るための行為とも取れるのかなとも思いました。

 

貢献感以外の幸せは、自分の体力や精神を回復させる行為。貢献感以外の幸せは、誰かの役に立つための英気を養う行為。貢献感以外の幸せで、誰かに貢献できる体力や精神力を得ることができたから幸せだと思えるんだ、とも言えるかと僕は考えます。

 

貢献できる力が回復したから幸せ。ちょっとこじつけになるけど、貢献感以外の幸せも、実のところは、貢献できる準備ができたという貢献感の幸せに繋がっているとも捉えられると僕は考えます。

 

よく事業で大成功を納めて世の役に立ち、経済的時間的に自由を手に入れた人が、自由を満喫するのではなくて、今度は慈善事業に参加するみたいな。自由を満喫する幸せもあるけど、最終的には誰かの役に立ちたいという思いに立ち返るものなのかなと思います。

 

そういう風に考えると、自分を癒すこと、自分のために勉強すること、自分のためにお金を稼ぐこと、それって無意識下の場合もあるけど、最終的には誰かの役に立つために繋がっているのかもしれないですね。

 

【まとめ】

幸せとは貢献感である。けど、貢献感以外の幸せも感じれる。けど、実はその幸せって貢献できる体力や精神力が回復するから幸せなんだとも言えるかもしれない。だとすると、幸せとは貢献感であるとも言えるのかなと僕は考えます。

あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない

(「嫌われる勇気」より)