ランニング好きライトゲーマー虫虎(小説家志望)の日記

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他責思考について考える

【前置き】

どうも、虫虎です。今回は、他責思考について考えます。よろしくお願いします。

 

【他責の人】

職場に他責思考が目立つ人がいます。

 

何かにつけて、あの部署が悪いから、俺たちは悪くない。会社側の責任だから、俺は関係ない。俺たちのミスではないから、手伝う必要はない。

 

そのように責任の所在を事あるごとに明確に言及している人がいます。確かに、自分や自分の部署を守る処世術としては、正しいのだけど、私は少しモヤモヤしてしまいます。

 

【他責は楽】

他責思考をして、自分の問題事として捉えなければ、正直、楽です。

 

俺は関係ないから、知らない。

 

そう言ってしまえば、気が楽です。

 

それも一つの処世術として正しいとは思うのだけど、自責で考える利点もあると私は思っています。

 

問題が起きたとき、たとえ、直接関係なくても、自分事のように考えて、手を貸せるなら貸したり、せめて、声だけでもかけるようにする。

 

その行動って、巡り巡って自分に返ってくるのではないかと私は考えています。そのときは、余計な労力を使ってしんどい思いをするけど、いざ、自分のところに問題が起きたときには助けてもらえるかもしれません。また、自分の事のように考えて行動している姿を誰かが見ているかもしれません。

 

他責思考は楽なんだけど、成長やいい人間関係のようなリターンが少なくなると私は考えます。

 

【他責思考は広がる】

また、自分には関係ないと線引きばかりしていると、本当に自分の問題が起きたときにも、他責思考を発動してしまいます。

 

明らかに自分のミスなのに、現実を捻じ曲げて、何かのせいにしてしまう人って意外と多いように感じます。

 

例えば、自分が勉強などを頑張っていなくて、いい企業に入れなかったとします。低賃金の会社に勤めるようになって、給料が低いのは政治のせいだと言う。百歩譲ってそれもあるのかもしれないけど、自分がもっと今までの人生を頑張っていれば違う未来もあったかもしれません。

 

他人がミスをして、自分の部署の成績が下がったとします。それをアイツのせいだというのは簡単です。けど、そこで、自分でも前もってフォローが何かできたかもしれないと自責で考えると、次の接し方や行動も変わります。

 

会社の責任だとか、俺の部署とは関係ないとか言っても、その会社を、元々、選んだのは自分ではないでしょうか。

 

そう考えると、降り掛かってくる事象は少なからず自分の責任ともとれます。

 

他責思考ばかりしていると、それが思考のベースになってしまうと私は考えます。

 

それって楽だけど淋しい人生にもなります。まだやれる余力があるなら、自責思考で行動してみるのもいいのではないでしょうか。

 

私もできていないので、なかなか難しいとは思うけど、自責思考のほうがいい人生を歩めるような気がしています

 

【まとめ】

他責思考について語りました。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。
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