【前置き】
どうも、虫虎です。今回は、アドラー心理学における「愛」についてまとめつつ、自分の思うことを書きます。宜しくお願いします。
【本当の愛】
アドラー心理学では、一緒にいるときに自由を実感できる相手に「愛」を感じるものであると提唱されています。加えて、劣等感を感じたり、優越性を誇示したりしようと思うことなく、自然な状態で付き合える相手に「愛」を感じるものであるともいわれています。
恋人やパートナーとそういった関係性を作れると幸せだなと思います。
【愛することの難しさ】
けれども、アドラー心理学の書籍を読んでいると愛することの難しさを感じてしまいます。
自分が愛したとしても相手がそれに応えてくれるかどうかは相手次第。
その人と一緒にいることで起こる苦難や困難も含めて愛さなければならない。
相手を束縛せずに幸せそうにしていたら見守ってあげる。
束縛して心苦しさを感じさせてはいけない。
相手ありきの「愛」はコントロールすることができないし、愛の課題によって自分の精神を平常に保つこともなかなか難しいように感じてしまいます。
たとえば「花が好きだ」といいながら、すぐに枯らしてしまう人がいます。水をやるのを忘れ、鉢の植え替えもせず、日当たりのことも考えないで、ただ見映えのいいところに鉢を置く。たしかにその人も、花を眺めることが好きなのは事実でしょう。しかし、「花を愛している」とは言えない。愛は、もっと献身的な働きかけなのです
(「幸せになる勇気」より)
【愛とは一生の課題】
そうなると、愛とは一生をかけて向き合うべき課題となるかなと僕は感じます。
相手が変わることもあるし、自分だって変わることもある。子どもであれば、成長するにしたがってどんどん価値観を変容させていきます。
そんな相手と「愛」を作り続けていくことは難しくて、一生かけて一瞬一瞬愛していくものなのかなと思います。
「愛」を二人で作っていくことは難しい。でも、自分がやるべきことは意外にもシンプルだったりするのかなとも感じました。
それは相手をただ先に愛することだけです。
自分の決めた相手に対して、見返りを求めずに全てを受け入れてただ愛するだけ。
もう一度書きます。ただ愛するだけ。
一緒にいるとき「自由」を感じてもらえるようにただ愛するだけ。
それって自分ばかり損をしているようにも感じてしまうけど、変に愛した分だけ愛してほしいとか考えてモヤモヤするよりも、世界がシンプルになってそれはそれでいいのかもしれないと僕は考えました。
【まとめ】
アドラー心理学においての「愛」をまとめつつ、自分なりの意見を書いてみました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。