【前置き】
どうも、虫虎です。アドラー博士は、承認欲求を否定しています。今回は、アドラー心理学と承認欲求についてまとめつつ、自分なりの考えを書いてみます。宜しくお願いします。
【承認欲求を否定する】
アドラー心理学は、承認欲求を否定している。
承認とは、他者に認めてもらうことである。それは、他者の人生を自分が生きることと同義であると提唱されています。承認を求め続ける状態というのは、他者の人生を生き続けることとなります。その一種の承認欲求依存状態でいると、自分はいつまでたっても他者の承認を欲し続けてしまい、幸せにはなれないです。
そうではなくて、自分の価値は自分で認めることが大事である。それを「自立」と呼ぶのだとアドラー博士は仰ります。
確かに承認欲求を満たし続ける行為というのは、砂漠でずっと水を飲み続けるように、喉が乾いては飲む、乾いては飲むという一生満たされることのないことなのかもしれないと思いました。
【価値観を変えていく】
とはいえ、人は誰かに承認してもらえると、嬉しく感じるものであるとも僕は思います。
それは、学校教育などで、テストの点数が良かったり、部活でいい成績を納めたり、コンクールで賞をとったりして、誉めて認めてもらうことに価値を置いている環境にずっといるからしょうがないことであるかとも思います。
そうして、親に迷惑をかけない子どもでいるとか、上司の求めている完璧な資料を作るとか、周りの求める期待に応えるとか、あの人に合った人物像に近づくとか、そういう行動規準になってきてしまうのではないでしょうか。
そんな風に他者の承認を求めることが日常となっているのでしょう。そして、どんどん他者に褒められたり、認められたりすることに重きを置く人生となってしまっているかと思います。誰かにちゃんと認めてもらってる方が自分にメリットも多くなりそうですしね。けど、それは他者の人生を生きることになっているということを忘れてはならないです。
より良い人生にするには、その承認を求めるという自分の根幹にある価値基準を少しずつ溶かしていくことが必要になってくるのかもしれないと僕は考えます。少しずつでも人生の配分を他者でなく自分のものにしていくことで幸せになれるのかもしれないです。
他者の承認への価値を低くしていく。勿論、認められることは悪い気分はしないし、嬉しいけど、それよりもまずは自分らしく生きることの方が大事だよね。僕はそっちの方にもっと価値を置くよ、と。
【承認でなく感謝される行動】
とはいえ、他者から承認をもらえないのは寂しいものかもしれないし、周りとの調和もとりにくくなるかとも感じます。
そこで取るべき策は、自分が相手に承認されるようにではなく、感謝されるように行動をするのがいいのではないかと僕は考えます。
君は仕事できるねとか、頭いいねとか、凄いね、尊敬しますって承認されるように頑張るんではなくて、ありがとう、助かったよ、恩に着るよって感謝されることに行動規準を向けるといいのではないかと思います。
承認よりも感謝を求めて行動するといいのではないか。承認は足りないものを満たしていく印象が僕にはあり、感謝は積み重ねて足していく印象を僕は持ちます。どちらも他者のことを考えての行動だけど、得られるものは全く違う。
そういう行動をしていると、別に求める必要はない承認、以前はそれを欲してやまなかった承認、を逆に得るという結果がもたらされるのかもしれないです。
【まとめ】
相手に認めてもらうんじゃなくて、感謝されるように行動してみよう。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立と呼びます
(「幸せになる勇気」より)