【前置き】
どうも、虫虎です。アドラー心理学の教えと絡めて、ほめることについて考えます。宜しくお願いします。
【ほめてはいけない】
アドラー博士はほめることを否定しています。何故なら、ほめる行為には、他者の操作、他者の能力低下、他者に自分の人生をなぞらせる、という悪い側面があるからです。
今回は、他者を操作することについて考えます。
【ほめるのは相手を操作する】
ほめるというのは、能力が上の者が下の者に下す評価という側面があり、それは、上の者が下の者を操作しようとする意図も含まれています。
例えば、親が子どもに勉強できて偉いねというのは、言外にはもっと勉強してずっと好成績を維持しなさいねという意味が含まれているというのです。
上司が部下に君は優秀だねっていうのは、言外にはもっと私に貢献してくれたまえという意味が少なからず含まれているかと思います。
また、ほめる行為には相手への見えない強制力も働いているように感じます。
例えば、あなたは優しいねって言われると、優しい人を演じなくてはいけないような気がしてしまう。あなたは大人しいねって言われると、なんだか黙って言うことを聞かなくてはならないような気がしてしまう。
また、例外的に能力が下の者から上の者へのほめる場合もあります。上司にお世辞を言う部下も、お世辞の言外には、私を他の人よりも優遇してくださいねっていう意図も少なからず含まれているかと思います。
そんな風に「ほめる」という行為には、相手を操作しようという側面が結構あるように感じます。
【相手のほめる意図は何か】
そこで大切なのは、相手にほめられたときに、手放しに喜ぶのではなくて、その意図についてちゃんと考えることであると僕は考えます。
勿論、好意のみで「ほめて」くれる人もいるとは思うけど、それでも常に言外にはどんな意図があるのかなということを頭の片隅で考えておいた方がいいのかなと思います。
あの人は僕に何をしてほしくてほめているのかな、と。
すると、相手の意図するところや気持ちも理解しやすいと僕は考えます。
その相手の意図に乗るかどうかは、自分で決めればいいと思います。
そうすると、より人生が生きやすくなるのではないでしょうか。
【まとめ】
今回は、ほめてくる相手の意図を考えてみるのは大事なことだという話でした。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
ほめることは「能力のある人が、能力のない人に下す評価」であり、その目的は「操作」である
(「幸せになる勇気」より)