ランニング好きライトゲーマー虫虎(小説家志望)の日記

ゲーム、ランニング、文章書き、読書、昆虫、子育て、オナ禁、映画、人間関係、音楽、僕が考えていることなどを書いている雑記ブログ

姉妹をどう平等に扱うか

【前置き】

どうも、虫虎です。今回は子育ての話題で、「姉妹それぞれとの接し方」について考えてみます。宜しくお願いします。

 


【平等に扱うのが難しい】

うちには五才と四才の娘がいるのですけど、年の差は一年半いかない位です。姉をお姉ちゃん扱いして我慢を強いるのもまだきつい年かと感じるし、かといって妹を姉と対等の立場として扱うのもしんどいかとも感じます。この微妙な差にどう対応したものかと思うことがあります。

 

具体的な例を挙げてみると、幼稚園の準備をしてもらう時、タオルや水筒やレジャーシートの用意を年長のお姉ちゃんにはしてもらいたいけど、年少の妹はまだ手伝ってやってもいいかなと思う。となると、妹の準備だけして姉の準備はやらせると、姉は「なんで?」という気持ちになるし、妹にいきなり準備させるのも可哀想かなと思います。妹がお姉ちゃんに倣って一緒にやってくれたらいいのだけれども、姉が年少の頃はそこまで強いていなかったしと。

 

他には、小学校に入る前に姉にはドリルをして予習をさせておきたいけど、妹はまだドリルはいいから遊ばせていると、姉は「何で私だけ」と嫌な気持ちになります。かといって、妹にドリルをさせても集中力が続かないし、問題文も読めないからつきっきりになって姉に目を向けれなくなってしまいます。

 

つまり、抽象化すると、妹にはまだ少し手がかかってしまうけど、姉には一人でできることをやってほしいという方針を良しとする心を姉がまだ持ち合わせていないということです。

 

そういった状況下で姉妹を平等に扱うのは難しいなと思ってしまいました。

 


【どう扱うか】

もう少し二人ともが大きくなるとこの微妙な差はおそらく気にならなくなるのだろうけど、それまでこの問題にどう対処するかです。

 

①姉としての自覚を持ってもらう
 姉に妹との年の差を説明して、普段やってもらうことが多いのも「お姉ちゃんだから少し違うんだよ」ということを伝えて、理解してもらう。

 

②妹に姉を見習うように仕向ける
 妹に「お姉ちゃんと同じようにできることは凄いことなんだよ」と伝えて、頑張ってもらう。

 

つまり、姉には妹に寄り添ってもらい、妹には姉に近づいていってもらうことでこの微妙な差を少しでも埋めることが大事なことかなという結論に僕は至りました。

 


【まとめ】

やっぱり姉妹には年の差があるから、扱いが少し変わるということを分かってもらうことが大事ですね。

 

しかし、小さな子にはそれを心で理解することは難しいので、なるべく平等に扱いたいところでもあります。

 

だから、なるべくお互いが近づくように努力してもらうのがいいのかなと思いました。

 

姉に「お姉ちゃんなんだから」と我慢させる、妹に「お姉ちゃんはちゃんとやってるのに」奮起させるといって、どちらか一方に頑張ってもらうんじゃなくてどちらにも頑張ってもらうのがいいのかなと僕は考えました。

 

それが平等に接することなのかなと思いました。

 

子ども達には素直で優しい心を育んで欲しいなと思います。

兄弟姉妹の不満を解消するためには、それぞれの子どもと二人きりになれる時間を作るのも一つの名案です。子どもは、親と二人きりになることによって、自分は親に大切にされていると実感することができます。 

(「子どもが育つ魔法の言葉」より)

「無添くら寿司」の僕の好きな寿司ネタ

【前置き】

どうも、虫虎です。現在、「go to eat」キャンペーンのポイントを使って「無添くら寿司」へ何度でも通えるという「無限くら寿司」が取り上げられていました。

 

僕も流れに乗るべく「EPARK」に登録して平日に「無添くら寿司」へ行って、ポイントをゲットしました。

 

しかし、いざそのポイントを使おうと土曜日に「くら寿司」の予約を取ろうとしても、出遅れてしまい取れませんでした。

 

そりゃ皆行きますよね。

 

また平日に行こうかな。

 

前置きはこのくらいにして、僕はポイント抜きにしてもよく近所の「くら寿司」に通ってました。そこで、今回は僕の好きな寿司ネタについて語ってみます。宜しくお願いします。

 


【肉厚とろしめ鯖】

僕の一番好きなネタですね。僕は鯖が好きで、塩焼き、煮付け、味噌煮、水煮、照り焼きと何でも好きなんですが、勿論、鯖寿司も好きです。

 

あの鯖の魚感のある味と匂いが堪らなくいいですね。EPADHAなど栄養も豊富にあるし、美味しいし、最高ですよね。

 

そして、「くら寿司」の肉厚とろしめ鯖は名前の通り肉厚で食べ応えあるところもいいですね。

 


【やりいか】

シンプルなお味のイカ2貫。それがいいんです。つるつるとした舌触りを感じてからの、こりこりした食感が不思議と癖になって毎回食べたくなりますね。

 

あとは、シンプルなお味だからこそメインを張りつつも補助的な食材の花も持ってくれるイカす食材です。

 

くら寿司」の「いか南高梅」や「大葉真いか」などは梅や大葉の良さも消えていなくていいですね。

 


鉄火巻き】

鉄火巻きです。普通のマグロも美味しいんですけど、海苔が個人的にはポイントなんですよね。海苔と鉄火とご飯と醤油が絶妙に合わさって素晴らしいハーモニーを奏でているんですよね。

 

あとは、「くら寿司」の鉄火巻きは100円皿で4本入りなのでお得感がありますね。

 


【味卵】

普通の卵じゃなくて軍艦の卵の方です。調味料の味が卵に染み込んでいてご飯に合うんですよね。

 

いつも一緒に行く嫁さんには原価が低そうと言われてしまうけど、自分で卵茹でてジッパーに調味料入れて味を染み込ませるのって、それなりに時間と労力がかかるから、食べる価値全然あるなと僕は思っています。いや、そんなこと考えずに普通に美味しいから食べたらいいと思います。

 


【あなご】

穴子さん。醤油つけて寿司を食べてると、甘ダレつけてる穴子さんが普段より美味しく感じるのではないでしょうか。

 

鰻の陰に隠れてしまいがちな穴子ですが、寿司屋さんにおいて地味にいい働きをしてくれているのではないでしょうか。

 


【まとめ】

その他にも、鰯や鯵、熟成マグロやあぶりチーズサーモンとかも好きですね。

 

うん、「くら寿司」行きたくなりました。

 

何処の誰かも分からないとおっさんの寿司の好みをここまで読んでくださってありがとうございました。

 

 

ランニングしてモテたい物語①

私は平凡な大学一年だ。

 

薔薇色のキャンパスライフを送ろうと目論み、入学前に髪の色を茶色に染めて、お洒落に気を遣って服を調べて買い込んだ。

 

それにも関わらずだ。結果は見事に惨敗。女子にモテるとは程遠い生活を送る日々だ。何故なのだ。何故モテないのだ。

 

そうこうしている間に今年ももう終わってしまうではないか。単身、大学近くのアパートで独り暮らしの私。クリスマスは一人きりで過ごすことになるのか。私は焦っている。

 

可愛い彼女をゲットして楽しい大学生活を送りたかったのに。

 

入学当初は出会いを求めてテニスサークルに入ってみた。だが、周りの雰囲気に馴染めず行かなくなってしまった。会話術の本も読んで準備していたのに上手くいかなかった。

 

私が夢見たキャンパスライフとは程遠い現実を生きている。

 

現実を変えたい。分かっているのだ。その為にはもっと積極的に行動していかないといけないことは。しかし、飛び込む勇気がないのだ………。

 

何かできることはないかのか。

 

………。

 

ランニングしてみようか。

 

そんな思考が私に降り注いだ。最近、太ってしまい顔に肉がついてきいるように感じる。

 

よし、そうだ。

 

ランニングをして体を引き締めればモテるかもしれない。一人でもできるし、いいじゃないか。

 

そう思い至って、早速走るぞと意気揚々、私は走る準備を始めた。

 

晩御飯を食べて、まだ風呂に入ってなかったから、丁度いいじゃないかと、ジャージに着替えて外に出た。

 

「寒い!!」思わず声が出てしまった。

 

時刻は夜の9時を回っていた。外は夜の闇の支配下になり、冷え込んでいた。

 

いやぁ、私は何やっても空回りだな。もっと気温の高い夏場に走れば良かったものを。しかし、私は走るぞ。ここで寒いからって辞めたら、暖かくなる3月まで待たなければならないことになるのだ。

 

私はアパートの階段を駆け下りて走り始めた。

 

意外にも走り始めると、体が温まってきて夜風の冷たさが心地良かった。

 

はぁはぁ。

 

30分程走ってから家路に着き風呂に入ると、「充実感があるな」そんな声が漏れた。

 

ランニング、続けてみるか。



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会話における「さしすせそ」について考えてみた

【前置き】

どうも、虫虎です。今回は、会話における「さしすせそ」について考えてみます。宜しくお願いします。

 


【会話における「さしすせそ」とは何か】

「さ」は、「流石ですね」、「し」は「知らなかったです」、「す」は「凄いですね」、「せ」は「センスありますね」、「そ」は「そうなんですね」と会話の返答の頭文字をとったもので、この「さしすせそ」を会話に積極的に取り入れることで会話を円滑にして人間関係を良好にすることができるというものであります。この返答についてそれぞれ考えてみます。

 


【流石ですね】

相手のいい行いや優れている行いを見つけて褒めるのはいいことだと思います。褒められて悪い気を起こす人も少ないでしょう。そこで一つ注意しなければいけないのは、心にもないことに対して「流石ですね」と言わないことだと僕は考えます。

 

「流石ですね」という言葉は声に出すと棒読みになりやすいかわざとらしく聞こえがちになると感じるので、それに加えて心がこもっていないとお世辞を言っているのだと思われてしまうのではないかと僕は考えます。

 

だから、「流石ですね」という時は心を込めて言った方がいいと思います。

 


【知らなかったです】

「知らなかったです」と自分の無知をひけらかし過ぎるのも印象悪くなるかもしれないけど、分からないことは素直に分からないと認めることは大切なことだと思います。その姿勢が多くの学びに繋がっていくのだと僕は考えます。

 

会話において「知らなかったです」と言われると相手は自分の知識や経験の豊富さを実感できて気分が良くなるかと思います。簡単なことや常識的なことを「知らなかったです」と言ってしまうのは印象が良くないけど、難しいことや専門的なことに対して「知らなかったです」と素直に返答するのは相手も気分良く説明ができるし、自分の学びにもなっていいと思います。

 

あとは、「知らなかったです」の前に「へぇ」のような感嘆詞をつけると強調されていいのではないかと僕は考えます。

 


【凄いですね】

「凄いですね」は汎用性のある返答であると感じますね。人はやっぱり自慢話をしたい生き物ですし、それに対して「凄いですね」と返されると気分がいいです。

 

また自分自身も相手の凄いところを積極的に探すようになれば、人のいいところや肯定的側面を捉えることになるので相手の事を尊敬したり、好きになることができると僕は考えます。

 


【センスありますね】

センスあるかないかは主観によるところが主なので、この言葉も使いやすいと僕は感じます。相手の持ち物を褒める場合でも相手は自分の持ち物を気に入って持っているわけで、それを褒められると気分は良くなるでしょう。

 

その他には人が作ったものなどを褒められると人は気分がいいですね。

 

あとは、「凄いですね」と同じで、人にセンスあるなと感じるところを自ら探してみて、それを相手に伝えるといいなと僕は考えます。

 


【そうなんですね】

「そうなんですね」は相手の話をちゃんと真剣に興味をもって聞いているよという意思表示になるかと僕は思います。人は自分の話を聞いてもらいたい生物なので、「そうなんですね」と前のめりに聞いて貰えると嬉しいと僕は思います。

 

さらに「そうなんですね」の抑揚や声のトーンを工夫すると、より一層効果を発揮できると僕は思います。

 


【まとめ】

「さしすせそ」という定型文はあるんだけど、大事なのはその文言に気持ちをのせることであると僕は思い至りました。

 

「さしすせそ」のようなテクニックに加えて、気持ちを込めて会話することを忘れないようにしたいですね。

明るく振る舞い、話しやすい雰囲気をつくる。

(「人は「話し方」で9割変わる」より)

虫籠の中で長生きするか、外の世界で生を謳歌するか

【前置き】

どうも、虫虎です。外は冷え込み始めた11月も半ば。冬の足音が聞こえてきそうです。寒くなってきて昆虫達は姿を見せなくなりました。今回はそんな昆虫について思いを巡らせてみます。宜しくお願いします。

 


【昆虫の寿命】

昆虫は寿命が短くて儚いものが多い。その短い寿命を少しでも伸ばすには虫籠の中へ招いてしっかりと快適な環境で飼育するといいのではないか。外の世界で生きるより幾分か長生きさせることができるのではないか。


【虫籠と外の世界】

そこで今回思ったのは、「虫籠という狭い空間で外敵からの心配もなく栄養価の高い昆虫ゼリーを食べながら程よい湿度と温かい気温の部屋で長生きする」か「外の広い世界を真夏の太陽の光を浴びながら他の虫達や仲間達と賑やかに飛び回って生を全うする」のはどちらがいいのだろうかと………。

 

昆虫には理性はなくて本能で生きていると思うから、どちらがいいのかなんて判断できないのかもしれないけど、昆虫として生を全うするという点から考えると、外の世界でそのまま生きる方がいいのかなと僕は考えてしまいました。

 

もしかすると、虫籠に閉じ込めて長生きさせて喜んでいるのは飼い主だけなのかもしれない。

 

せめて虫籠で飼育するなら一匹ではなくて伴侶を見つけてあげて子孫を残させてあげるべきかなと思いました。

 


【人間はどうだろうか】

人の場合はどうだろうか………。

 

「人の喧騒を避けて関わり合いを減らして静かに暮らす」か「外の世界へ積極的に踏み込んで色んな事に挑戦する」のとはどちらがいいのでしょうか。

 

言い換えると、「危険や圧力を避けて安全に暮らす」か「新しいことに飛び込んで刺激的な日々を送る」のとはどちらがいいのでしょうか。

 

それは、人それぞれ好きなようにするといいと僕は考えます。

 

人間には理性があるから、自分が進みたい方へ進んだらいい。結局のところ、選んだ道の恩恵や代償は自分が受けることになるのだから。

 

自分の心の感じ方と周りの環境と自分の未来を考えた上で選択するといいのではないかと僕は考えます。

 


【まとめ】

昆虫と違ってある程度は自分の生き方を選べる人。

 

どんな生き方を選びましょうか。


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ゲーム禁止という子どもにとって絶望的な言葉

【前置き】

どうも、虫虎です。今回は、子どもとゲームの二つの題材で思い出語りをします。宜しくお願いします。

 


【ゲーム禁止】

ある日の事、うちの娘が出掛ける前に「あつまれ どうぶつの森」で遊んでいて、もう出発しないと間に合わないのにゲームを止められなくてごねてしまいました。そして、お母さんに「ゲーム禁止」の通告を受けたということがありました。(私は仕事でいませんでした)

 

その話を聞いて「ゲーム禁止」って懐かしい言葉の響きだなと私は思いました。

 

私は、ゲーム好きな子どもでしたので、視力か低下した時やお痛が過ぎた時には、私も親からゲーム禁止令を出されていたなと懐かしくて沁々としました。

 


【子どもにとって絶望的な言葉】

大人になった今振り返ってみると、親がゲームを抑制して、勉強や外遊びをするように仕向けてくれたことはよかったなと理解できます。ゲームばかりしていてもいいことないですからね。

 

しかし、子どもからしたら迷惑極まりない言葉だとも思います。

 

この世の中には面白いゲームがたくさんあって、いくら時間があっても足りないくらいです。

 

長時間遊んでいても飽きることのない素晴らしいゲームの禁止令が出たに日は絶望感が半端ないものです。

 

目の前に拾っても何も問題ない10万円があるのに拾っちゃいけないと言われるようなものです。

 

だから、ゲーム好きな子どもにとってゲーム禁止とは絶望な言葉なのです。

 


【私のゲームのできる日】

私の思い出語りになるけど、子どもの頃はゲームできる曜日が決められていました。火土日の晩御飯ができるまでの時間でした。

 

だから、火曜日は学校が終わると寄り道せずに一目散に家に帰ってきて晩御飯までゲームをして遊んでいました。土日は何故か午前中はゲームしちゃいけなかったので、午後から必死になってゲームをしていました。

 

まあ、他の曜日も友達の家でゲームしたり、公園に集まってゲームボーイで遊んだりしてはいたけど、それでもゲームをする時間は貴重な時間でした。

 


【ゲーム好きな親のジレンマ】

ゲームが楽しいのは重々承知しているし、途中で止められないのも良く分かります。しかし、親として子どものゲーム時間をある程度は抑制しないと、勉強やゲーム以外の大切な経験をする時間を損失してしまうことになりかねないです。

 

ゲームの楽しさを知らない親ならそんなものサッと止めて勉強しなさいと言いやすいのかもしれないけど、私はゲームの好きな親なのでやっぱり可哀想だなと思ってしまいます。

 

けど、ゲームの楽しさの代償や毒性も知っている親でもあるので、子どもがゲームにのめり込み過ぎないように誘導することが大切だとも考えてしまいます。

 


【まとめ】

子どもがゲームと上手に付き合えるようにしたいです。例えば、何か頑張った後のご褒美だったり、息抜きとしてのゲームにするとか。

 

自由にゲームをさせ過ぎると貴重な青春時代を棒に振ってしまうし、逆に押さえつけられ過ぎると反動で大学生の独り暮らしをした時にゲーム中毒になる可能性だってあります。

 

子どもの性格や趣味趣向によるところも大きいけど、ゲームとは上手に付き合わなければならないなと思います。それは、大人にも言えることです。

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もやもやした感情に気づいた時、自分のことを知るチャンス

【前置き】

どうも、虫虎です。日常生活を送っていると、自分の心が「もやもや」することがあると思います。日々の生活や人間関係の中で気にしてないと何気なく流れていってしまう「小さなもやもやした感情」に対して思考を巡らせてみる。「なんでもやもやしたんだろうか」と。

 

今回は自分の中のもやもやした感情について考えてみます。宜しくお願いします。

 


【もやもやに気づいたとき自分のことに気がつくチャンス】

日常生活の出来事の中で自分の気持ちにアンテナを張っておくと、もやもやした感情に気づくことがあるかと僕は思います。

 

その気づいたもやもやに対して「何故か」を問いかけてみます。何故もやもやしたかというと、自分の中で嫌だなと感じたことや相手との価値観のズレがあったからだと僕は考えます。

 

だから、そのもやもやを突き詰めていくと、自分の嫌なこと、その反対の好きなことに気づけるのではないかと僕は考えます。

 


【僕のもやもやすること】

具体的な事例として、僕がもやもやすることを例にとって考えてみることにします。

 

『人の威圧感を感じた時』

人の威圧的な態度や偉ぶった振る舞いに遭遇したとき、僕はもやもやします。それが、僕に対してではなくて他の誰かが威圧的な態度で接しられている時も感じます。つまり、僕は、人に威圧的な態度で接するのが嫌いで、自分は人に対してなるべく平等に接するのが好きだということになります。

 


『何事にも否定的な人を見た時』

何事にも否定的な態度をとって頭ごなしに決めつけている人が近くにいるともやもやします。つまり、僕は何でも否定的に突っぱねるのが嫌いで、物事は肯定的側面を捉えるのが好きということになります。

 


『怒りで人が動かされた時』

怒りの感情を使って人を自分の意のままに動かそうとするところに出くわしたときにもやもやします。あとは、すぐ怒る人も苦手です。つまり、僕は感情的に怒って人に当たるのが嫌いで、冷静に友好的に頭を使って問題を解決するのが好きということになります。

 


『人の悪口を聞いた時』

人の悪口を聞いた時ももやもやします。僕自身、嫌いな人や苦手な人の悪口が聞こえてくるとその話にのって楽しんでしまうことが多々あるけど、あとになってもやもやしてしまいます。つまり、僕は自分が好きな人や嫌いでもない普通の人が誰かに悪口を言われるのが嫌いで、仲良く知的に人を傷つけずに会話できたらいいなと思っています。あと、話の腰を折らない程度になるべく悪口を言わないようにしたいと思います。

 


『人を陥れようとした時』

誰かを騙したり、言いくるめて利用したり、自分が得をするように弱い人を従わせたりするところを見た時にもやもやします。つまり、僕は強い人が弱い人を陥れて得をするのが嫌いで、弱い人を助けれるような人間になりたいと思ってるということになります。

 


【まとめ】

自分がもやもやした時、そのもやもやのことを掘り下げてみる。

 

そうすると、自分のことが分かってくる。時にはもやもやの原因を言語化してみてはどうでしょうか。

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頭の中でぼんやりと考えているだけでは出てこない言葉が、文章化することによってどんどんでてくるのだ

(「人生に成功をもたらす日記の魔術」より)