ランニング好きライトゲーマー虫虎(小説家志望)の日記

ゲーム、ランニング、文章書き、読書、昆虫、子育て、オナ禁、映画、人間関係、音楽、僕が考えていることなどを書いている雑記ブログ

コラム「5年前こんな未来になっていることを想像できた人はいただろうか」

【5年前こんな未来になっていることを想像できた人はいただろうか】

5年前に現在のこと、例えば、道行く人々が、皆、マスクをつけているのが当たり前の風景を想像できた人はいないんじゃないだろうか。

 

外出をできるだけ控えて、人との距離を取らざるを得ない生活が当たり前になりつつある世の中など誰も予測できなかったはずです。

 

地震などもそうですか。ある程度は予測できるのかもしれないけど、基本的にはいつ起きるか分からない、どの程度の規模になるか予測できない。

 

何か大きな出来事が起こると、未来は僕達が思い描いていたものから姿をすっかり変えてしまいます。

 

要するに、5年後の未来なんて誰にも分からないということです。

 

悪い世界になっていることもあれば、反対に、いい世界になっていることだってあるかと思います。

 

そして、未来がどうなってるか分からないからこそ、頑張り甲斐があるものではないでしょうか。

 

なんとなくでも未来が予測できると思い込んでしまうと、なんだかやる気も平行線のままな感じです。

 

何年後かはどうなってるか分からない。

 

それは何も世界規模のことでなくても、自分の周りのことにだって当てはまると思います。

 

良くも悪くもどうしようもない出来事で変わってしまうこともあれば、自分の努力次第で変わることだってあります。

 

そこで、予測できない未来に対応できるように、自分の周りを良い場所にできるように、自己研鑽していくことが大切であると僕は考えます。

 

今日できることを毎日ちゃんと頑張る。

 

自分が成長できるように頑張る。

 

自分の周りの環境を良くできるように頑張る。

 

未来は予測できないからこそ頑張り甲斐がある。

 

そういう風に考えてみるのもいいかもしれないですね。


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妻の育児ノイローゼを少しでも解消する方法

【前置き】

どうも、虫虎です。僕が育児を6年以上してきて思う「妻の育児ノイローゼを少しでも解消する方法」について語ってみます。宜しくお願いします。

 

【子どもは可愛いんだけど一日中一緒にいるのはしんどい】

自分の子どもは愛しい。玉のように可愛らしい。守るべき大事な存在。

 

けれども、不思議なもので一日中一緒にいるとなんだかしんどくなってきます。

 

命を預かってる重圧。突発的予測不可能な出来事。色んな不安要素。心理的な負担が多いからだと思います。

 

だから、子どもは愛しい存在ではあるんだけど、一日中一緒にいるとかなり精神力を消耗してしまいます。

 

つまり、妻が育児でノイローゼを発生させる確率はかなり高いのではないでしょうか。

 

【妻の育児ノイローゼを少しでも解消する方法】

そこで夫の出番ですね。

 

妻の育児ノイローゼを少しでも解消する方法は、「妻に労いの言葉をかけつつ子どもと引き離してあげること」であると僕は考えます。これに勝る方法が他にあるのでしょうか。いや、僕は思いつかないです。

 

「いつも子どもの面倒を見てくれてありがとう。あとは、俺が責任をもって見ておくよ」とか「平日大変だったろう。土日は子どもの面倒は僕に任せて遊びに行っておいでよ」とか妻と子どもを引き離してあげることが大切であると僕は考えます。

 

育児中の妻に自由時間を与える。それは、妻に元気になってもらって、また家族を守ってもらうため、家庭を円満に運営するための必須条件ではないでしょうか。

 

そして、何だかんだで妻は母性があるので、ちょっと離れてみると子どものことが気になってすぐに会いたくなってしまうものではないかと僕は考えています。

 

【夫の腕の見せ所】

子どもは小さければ小さいほど、母親を求めてしまうものです。

 

そこで、父親がどうにか工夫を凝らして子どもの注意を引いて持ちこたえれるかが鍵となります。

 

抱っこのテクニックなのか、離乳食やおやつの良選択なのか、面白い遊びを考案できるかと色々と工夫を凝らすところはあると思います。

 

ドラゴンボールで復活したばかりのベジータが魔神ブウを食い止めなければならないくらいに、子どもが小さいときは注意を引くのが父親にとって本当に大変だけど、なんとかそこで頑張りたいものですね。

 

大きくなってくるとどんどん難易度が下がってくるので、小さい頃は全力で頑張ることを僕はお奨めしたいです。

 

【まとめ】

小さい子どもの育児中は妻のコンディションを整えるのが夫の大きな役割であるという話でした。

日常生活で感じるイライラや不満が積もりに積もって屈折した恨みや怒りの感情となって、爆発してしまわないように日頃から上手に発散しておきましょう。

(「子どもが育つ魔法の言葉」より)

仕事に関して思うこと~自分がいないと回らない仕事はほぼないんじゃないだろうか~

【前置き】

どうも、虫虎です。自分で自分がいないと仕事が回らないぞと思ったり、時々周りにそう言う人がいるけど、哀しいかな、仕事って意外と回ってしまうものなんじゃないかという話をしてみます。宜しくお願いします。

 

【周りは大変かもしれないけど、結果的には仕事は回り出す】

仕事を一生懸命頑張っている人ほど、思いがちになる思考「俺がいないと仕事は回らない」。

 

確かに切り盛りしている守備範囲が広ければ広いほど、そう考えてしまうと思います。

 

実際に、その人が突然抜けると回りの人たちは慌てふためくでしょう。

 

慌てふためきはするのだけれども、意外と皆で協力し出して仕事は回り始めていくものだと僕は考えています。皆でその人の穴埋めをしだす感じで。

 

そして、哀しいかな、何日も休んでいるとそれが普通になっていたりするものなのかなと僕は考えます。

 

【俺がいないと仕事は回らないは自分を苦しめてるだけ】

俺がいないと仕事は回らないと思い込むのは、精神的には気分がいいものかもしれないけど、有給をとりにくくなるとか仕事量が多くなるとかで肉体的にしんどくなります。

 

そして、そんな傲慢な思いでいると、それが態度にも現れてしまって周りから嫌な目で見られるかもしれないし、あの人は周りの人を信頼していないと思われるかもしれないです。

 

だから、「自分がいないと仕事は回らないぞ」という考えはただ自分を苦しめてるだけのように僕は感じます。

 

【勤め人で特別な存在になるのは難しい】

勤め人で特別な存在になるのは難しいと思います。どこまでいっても代わりとなる人は現れるものかなと感じます。

 

だから、気張らずに仕事を取り組んでいた方が楽であると僕は考えるようになりました。

 

唯一無二の存在になりたければ、起業して社長になるとか自分のオリジナルの作品を作るとかしなければ無理なのではないでしょうか。

 

【まとめ】

自分がいないと仕事が回らないぞと思うことは精神的には気持ちいいけど、肉体的にはしんどいし、周りからの印象も良くないという話でした。

何も、すべて自分でやる必要はないということです。「自分が仕事をしなくて済む方法はないだろうか?」と考えてみるのです。

(「働く君に贈る25の言葉」より)

 

あの時出てこなかった発言を日記帳に書きながら探ってみる

【前置き】

どうも、虫虎です。会話をしているとき、言葉が詰まってしまったり、いいこと言えなかったり、失言をしてしまうことってよくあると思います。そんなときには、日記帳に書いて反省することで次に繋がるよという話をします。宜しくお願いします。

 

【会話時の失敗】

あのとき何て言えば良かったんだろうか、さっきなんであんなこと言ってしまったんだろうか、もっと別の言い方の方が良かったかもしれないな、今日の発表の伝え方変えた方がいいなといったような話すことでの後悔って結構多いんじゃないでしょうか。

 

【何て言えば良かったんだろう】

その時のことを何て言えば良かったんだろうかと静かな空間で頭を冷静にしてそのときのことについて思考を巡らせてみます。

 

すると、あのときはああ言えば良かったかも、こういう言い方をすればいいな、伝え方をこう工夫するといいかもといった具体案が思い付くのではないでしょうか。

 

それを日記帳に出来事と共にしたためていく。

 

そういう自分のモヤッとした出来事の対策を具体的に言語化する訓練をすると次に繋がっていくと考えます。

 

【自己研鑽】

出来事に対して都度言語化していくと、次の会話時にうまく話せるかもしれないです。

 

自分の考えや意見、面白いこと、気の利いたことがだんだんと言えるようになると僕は考えています。

 

ちょっとした会話の失敗をしたときの反省を日記帳に書く行為、如何でしょうか。

 

【まとめ】

今回は、自分の日々の会話を反芻して改善案を考える行為は、自分の会話力の成長に繋がるという話でした。

日記は、まさに、ストレスを溜めず、人生を楽しみながら自分を変えていくために最適な道具なのだ

(「日記の魔術」より)

学校で友達が作れないと、そこは途端に地獄と化す

【前置き】

どうも、虫虎です。僕は陰キャなので、学生時代に友達が作れなかった経験を何度かしました。友達がいない時期って本当に精神的に苦痛なんですよね。今回は、僕のそんな友達がいなかった時期のことを自分語りします。宜しくお願いします。

 

【友達のいない時期】

僕は虐められていたわけではないですけど、クラスに仲のいい友達ができずに孤立する経験を何度かしてきました。

 

初めての孤立は、小学5年生のときでした。それまでは多くの友達に囲まれていて、友達がいなくて困った経験をしたことがありませんでした。

 

しかし、クラス替えをして急に一人になってしまいました。休み時間も一人で過ごすことが多くなってしまって、「ズッコケ3人組」を何冊も読んでいました。なんか「ズッコケ3人組」がめっちゃ好きな子になっていましたね。

 

そんな風に本を読んで少しは気をまぎらわすことはできていたけど、やっぱり寂しかったなっていう記憶が残っています。

 

中学生になり、心機一転して友達を作ろうと目論むんですけど、中学1年生のときはクラスに友達ができませんでした。

 

部活では仲のいい友達がいましたが、クラスで一緒にいてくれる人がいないのは辛いものでした。

 

体育の授業で2人組つくってサッカーのパスの練習しろだとか、好きな人とグループ作ってだとか先生が言い出すと心臓が飛び出そうになるほどいつも緊張が走っていました。先生、それはやめて。

 

他には、そんなにおしっこをもよおしてないのに休み時間毎にトイレへ行ったり、眠くもないのに机につっぷしていたり、教室移動があればゆっくりゆっくり歩いたり、厳しい先生がいて皆が黙ってるときの方がほっとしたりとかですね。「友達いないあるある」ですね。そんな感じでした。

 

それから、中学2年と3年生のときは友達できて心の平穏を保ちながら過ごせました。

 

そして、高校入学。またしても初っぱなから孤立してしまいました。年齢を重ねても一人は辛い。なんか年齢を重ねてから一人になったときの方が辛いような気さえします。孤独で不安でどうしようもない淋しい感情がありました。

 

僕が通っていた高校は2年生に進級するときに文系コースか理系コースを選ぶことができました。

 

僕は理系コースから行ける大学に興味あったのですが、1年生のときに他のクラスにいた友達は文系コースにいくというので、悩んだ挙げ句、文系コースを選んでしまいました。

 

今考えてみると、かなりやばいですよね。友達がいるからって理由で進路変えちゃってますからね。

 

でも、それほどまで学校のクラスに友達がいないという状態が苦痛だったと言えるかもしれません。僕にとっては将来の進路よりも目先の地獄が怖かったのでしょう。

 

そのおかげで、2年と3年生のときは友達に恵まれて良かったです。

 

【友達がいない学生に言いたいこと】

友達がいない学生さんがこのブログを読んでいるかはわかりませんが、言いたいことは「終わりは必ずある」ということです。

 

友達ができないとき、自分に不備があるとか思わなくて、たまたまその環境に自分と相性のある人がいなかったということだと思うんですよね。

 

僕も友達がいた時期、いなかった時期を経験しましたけど、それってたまたま一緒のクラスになった人と相性が合うかどうかになると思います。

 

勿論、明るく人と接したり、積極的に話しかけてみたりするという努力は必要ですが、結果的に友達は自然とくっつくもので環境によるところも大きいと思います。

 

例えば、明るい性格で友達ができやすそうな人であっても、周りが皆が暗い人だったら孤立してしまうことだってないことはないわけですから。

 

そして、学校生活はいつかは終わります。クラス替えもあるかと思います。

 

友達いないのは本当に精神的に苦痛だけど、なんとかして耐えましょう。本当に無理だったら転校しましょう。休みましょう。

 

学校生活は期限があります。振り返ってみると、友達がいなかった嫌な時期もちゃんと振り替えることもできますし、苦痛を乗り越えると精神力も上がるのではないでしょうか。

 

大変だと思いますが、頑張りましょう。本当に無理だったら逃げましょう。

 

【まとめ】

友達がいない学生のとき、それは地獄にいるみたいに辛いけど、終わりはありますよという話でした。


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自己啓発本を読むのを少しずつ減らしていくといい

【前置き】

どうも、虫虎です。僕は自己啓発本を読むのが好きです。けど、ふと、自己啓発本から自分にとっての大切な考えを抽出して練り込めたら実践でどんどん使っていかなければ意味がないなとも思えました。だから、その辺りの思考についてまとめてみます。宜しくお願いします。

 

自己啓発本を読むとやる気が沸き起こる】

自己啓発本を読んでいると、日々を頑張っていこうという意欲が沸いてきます。だから、僕は自己啓発本を読むのが好きなのだと思います。

 

けど、自己啓発本で精神を醸成させたら、もっと具体的にやりたいことに特化した実用書を読んでいかないと次のステップにはいけないのかなとも感じました。

 

僕はラジオアプリ「Voicy」をよく聞いているのですが、そこでも自己啓発系の話をよく聞いてます。

 

日々、やる気を注入してもらえていいのだけれども、もっと聞いた分、自分に響いた話を拾い上げて自分の価値観や行動規準を確立させていけたらなと感じるようになりました。

 

「Voicy」のパーソナリティーの方々は皆、成功者であると思います。そして、これがきっかけなのですが、そういった方々から「いつからか自己啓発本を読まなくなった」ということを話されているのをよく聞きました。

 

恐らくですけど、そういった方々は、自己啓発本を沢山読み尽くして自分の心に響いた金言を心に刻んで自分の軸を確立した上で行動しているのかなと感じました。

 

【価値観を確立させる】

そこで価値観を確立させることが大事になります。

 

自己啓発本を色々と読んでると心に響く話に出会えます。

 

そういった話をちゃんとまとめておくことが必要になってくるかと僕は考えます。

 

それから、この本一冊丸ごと価値観が好きだという自分にとっての聖書に出会えたなら、それを読み込んで自分の軸にしていくとよいかと考えています。

 

そうすることで、自分の価値観や行動規準を確立できるのではないでしょうか。

 

それからは、自己啓発本を時々読むくらいにして、ベースとなる価値観を少しずついい方向へ軌道修正するくらいにしていくといいのではないかと僕は考えています。

 

【実践書を読む】

そして、自分の精神を醸成できたら、その精神を活用して目標を叶えるために専門的な実用書を読むようにするといいのではないかと思います。

 

営業力鍛えたければ営業の本を読む、趣味を極めたければその趣味の本を読む、専門知識を得たければ専門書を読む、小説書きたければ小説の書き方本を読むみたいな。

 

自己啓発本から精神力を得たら、やりたい専門書を読むようにすると次のステップにいけるのではないかと僕は思いました。

 

【まとめ】

自己啓発本をたくさん読んで、金言をたくさん得て、価値観や行動規準を強化できたら、次はやりたいことの専門書を読み始めようという話でした。


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1日50PVあるとブロガーの上位20%に入れるらしい

【前置き】

どうも、虫虎です。今回は、定期的に自分のブログについて考えるシリーズということで、小さな目標を積み重ねて遠くまで行こうという話をします。宜しくお願いします。

 

【現在のブログ状況】

現在600記事以上投稿しました。

 

1年半くらい毎日更新が続いています。

 

PV数は月間1000PV~1500PVが続いています。

 

【1日50PVでブロガーの上位20%】

PV数について調べていると、かなり前の記事ですが、1日50PV月間1500PV以上あると、ブロガーの中で上位20%に入るという記事を見つけました。

 

上位20%という響きはなんだか凄そうな感じがしました。しかし、ブログ開設して3記事だけ書いたものとか、現在は運営されてないサイトとかもあるから、それほど凄いことではないのでしょう。

 

それでも、1日50PV月間1500PV以上は僕にとっての次の目標としていいなと思いました。

 

【小さな一歩を積み重ねる】

よく小さな一歩を積み重ねることで結果的に遠くまで行けるみたいな話がありますね。

 

自分の現状を把握して次の一歩を決めることって大事だと僕は思います。

 

現在、僕のブログは1日30PV月間1000PV以上なので、今回調べていて1日50PV月間1500PV以上を目指すのはちょうどいいなと感じました。

 

この目標であると、ブログの質を改善しつつ、ペースを切らさずに毎日更新していくといけるんじゃないかという「いけそうなイメージ」も持てました。

 

そう、次の一歩という小さな目標なら具体的にどうしたらいいかということが見えやすいです。

 

イメージをしやすい小さな目標を設定して一つひとつこなしていくことでいつの間にか遠くまで行っているのものではないかと僕は考えています。

 

楽しみながらブログをやっていきたいと思います。

 

【まとめ】

今回は、次なる一歩という小さな目標を設定することは大事という話をしました。ここまで読んでくださってありがとうございました。

日記を書くことで「自己内対話」がどんどん深まる。それをさらに深めていくと、最後には自己を突き抜け、他者のプールともつながる無限プールへと到達することができる。日記はその奥深いところへ通じる入り口なのだ

(「日記の魔術」より)