【前置き】
どうも、虫虎です。純粋な心を持った小さな子どもと接していると、「俺はどうしてこんな大人になっちまったんだ」と絶望を感じることがありませんか。今回はそんな大人になることについて考えてみます。宜しくお願いします。
【子どもは純粋だ】
子どもと接していると、その純粋さが素敵で眩しいです。
嬉しいときは全身で喜び、嫌なことがあれば素直に怒り、悲しいと感じることがあれば涙を流して哀しみ、何事にも好奇心を示して楽しむという喜怒哀楽の感情を素直に豊かに表してくれます。そんな幼稚園や保育園に通っている子ども達は本能の赴くままに生きているところがいいなぁと大人は感じてしまうものではないでしょうか。純真な心っていいなぁと。
新生児や乳幼児であれば、もっと純粋で存在自体が愛しいなぁと感じてしまうものではないでしょうか。
【大人になると社会を知る】
それが成長していくに従って、親の顔色を窺うようになり、友達との微妙な空気に気づくようになってきます。
そして、言うべきことと言わざるべきことの判断ができたり、感情のコントロールができるようになってきます。
僕達はそうして社会性を身に付けていって大人になると思います。
【大人が社会を回す】
そんな社会性を持った大人が社会を回すことになります。
仮に世の中に子どもしかいなかったら、社会は崩壊の一途を辿るでしょう。
だから、社会を成り立たせるためには子どもから大人になることが必要となってくると思います。
【捨てなくていいものもある】
大人になることは必要だ。僕達は大人になる時に、喜怒哀楽を素直に表現することのような子どもの時に持っていた色んなものをいつの間にか捨てているのではないでしょうか。
捨てておかないと、社会は成り立たなくなってしまうけど、大人はちょっと色んなものを捨てすぎているのではないかと僕は考えます。
協調性や社会性といった人のことを思いやる気持ちや周りとの調和を保つ裁量は必要であります。子どもの時のように嫌なことは嫌なんだと我儘を言ったり、すぐに感情的になるのはよろしくないかもしれないです。
しかし、嬉しい時は笑ったり、悲しい時は泣いたりする感情をなくす必要はないと思います。
そして、子どものように何事にも好奇心を示して挑戦することや些細なことを楽しんだり感動したりする純真な心を忘れる必要はないと僕は考えます。
子どものように喜怒哀楽を全面に押し出すのはまずいけど、少年少女の心を忘れずに色んなことに挑戦する気持ちや些細なことに感動したりそれを楽しむ心は忘れなくてもいいんじゃないかなと僕は考えます。
【まとめ】
子どもから大人が見習うことも案外沢山あると思うので、子育てを通して自己成長していけたらなと思いました。
幼児は、成長するにしたがって、自己中心性を和らげてゆきます。思いやりの心は、子ども時代に学ばなければなりません。
(「子どもが育つ魔法の言葉」より)