【前置き】
どうも、虫虎です。今回は、自分にとって完全無欠な完璧な嫁ってこの世に実在するのかという問いについて考えてみたいです。宜しくお願いします。
【完璧な嫁に出会うのは天文学的な確率だと思う】
赤の他人が夫婦となる契約を結び一つ屋根の下で暮らす。
お互いが愛し合っていたとしても、価値観は大なり小なり違うし、生活していると違和感を覚えるものだと僕は思います。むしろ、それが普通のことであると考えます。完璧に相性が合ってるなんて方がおかしいと思います。
もしも完璧な夫婦だと感じるなら、それは相手が多少なりとも合わせてくれているのではないでしょうか。
だから、完璧な夫婦関係になれるなんて天文学的な確率であると僕は考えます。
【仮に完璧だと刺激がなくなる】
あり得ない話ではありますけど、夫婦関係が完璧に均衡がとれている。つまり、自分にとって完璧な嫁であったとします。何をもって完璧かも分からないけれども、笑いのツボや価値観が同じとか、阿吽の呼吸で意思疎通できるとか、お互いが一緒にいても全く腹が立たないとか、絶妙なタイミングでお茶を出してくれるとかでしょうか。
そんな嫁はいないだろうけど、仮にいるとしたら、夫は完全なるぬるま湯に浸かることになります。
異なる価値観の刺激もないし、対立して意見をぶつけ合うこともないしで甘やかされてしまいます。
それは、成長の機会がないともとれると僕は考えます。
【夫婦がお互いに合わせていく過程に意味がある】
そうではなくて、異なる価値観を削ったり、削ってもらったりして数十年かけて夫婦のシンクロ率を上げていく過程に意味があるのではないでしょうか。
お互いがお互いの性格や価値観に触れて違和感を覚えたところで、それらを擦り合わせていくことが必要ではないでしょうか。
海にある石ころが何度も何度も波に転がされて削れて丸まっていくみたいに数十年かけて合わせていくものではないでしょうか。
そんなシンクロ率を高める共同作業が夫婦には必要な課題であり、数十年かけて作り上げていく目指すべき絆かと僕は考えます。
【まとめ】
完璧な嫁なんていない。いたら、それは相手が無理して合わせてる可能性がある。夫婦は異なる価値観を数十年かけて削って擦り合わせていく共同作業をしなければならない話でした。
夫婦というのは面白い。かつて、永遠の愛を誓ったあの日の煌めくような「愛」とは、似ても似つかないところに「愛」の正体がある。しかし、結婚も35年を超えれば、「理不尽な怒り」と「とほほ(苦笑い)」こそが、暮らしのアクセントであり、生命力の源であり、ふたりにしかわからないきずなになるのである
(「妻のトリセツ」より)