【前置き】
どうも、虫虎です。他者が自分のことをどう思ってるかなんてことは気にしない方がいいという話をします。宜しくお願い致します。
【自分のことをどう思っているかなんて分からない】
他者が自分のことをどう思っているかなんて分かりません。予測したとしても、必ず差異が生まれます。他者の自分への視点に自分の視点を重ねることは不可能です。他者のその日の気分次第で自分の見え方は変わるものです。
他者との接し方の感触で私はあの人に好かれているんだと予測してても、実際はそうでもなかったなんてこともあります。絶対にズレは生じるはずなのに、無意識に予測してしまってギャップを感じてショックを受けるなんてことは結構あります。「あの人は私のことあんな風に思ってたんだ。知らなかった……」みたいな。「あのお誘いって社交辞令だったんだ」みたいな。
そんなギャップが必ず生じるから、他者が自分のことをどう思っているかは予測しない方がいいです。
【他者の予測に自分を合わせてしまう悲劇】
他者が私のことを分析してこんな人ですよねって予測を披露してきたとき、結構ズレてませんか。私、そんな人じゃないんですけどみたいな。
その時に注意すべきことは、他者が何気なく発した私像に私を無意識に近づけていってしまうことです。
例えば、誰かに〇〇さんって落ち着いてるねって言われると、落ち着いてる人にならなきゃならないんだって思うみたいな。〇〇さんって時々鋭いこと言いますよねって言われると、なんかエッジの効いたこと言わなきゃと焦っちゃうみたいな。
言われた私像に何故か本物の私が寄せにいってる現象が起こってるとそれは私がしんどい状態となります。
【自分らしく誠実に振る舞う】
よく僕が自分のブログ記事に出す結論ですが、「他者にどう思われようと気にしないで、自分の思う誠実さをもって他者に接すればそれでいい」かと思います。その自分の行動で他者がどう思うかはそれは他者次第となります。それで、私と気が合うなら一緒にいればいいし、馬が合わなさそうと感じれば必要最低限の関係を構築すればいい。
自分が思う誠実さで接してれば、もう他者の感情は気にしなくていいと思ってると幾分か気が楽になります。くれぐれも他者のイメージに自分を寄せたり、他者が自分をどう思ってるかを考えないようにしたほうが生きやすいと僕は考えます。
【まとめ】
相手が自分のことをどう思ってるかなんて分からないんだから、自分らしく丁寧に生きよう。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話
(「嫌われる勇気」より)