【前置き】
どうも、虫虎です。今回は、綿矢りさ先生の小説の感想を書きます。「インストール」「You can keep it」「蹴りたい背中」「ひらいて」「かわいそうだね?」「亜美ちゃんは美人」です。ネタバレしますので、ご注意ください。それでは宜しくお願いします。
【インストール】
学校生活、受験戦争から逃げ出して、少年とコンピューターで金儲けを企てる話。普通の生活から目を離した時、そこには何があるとだろうか。綿矢りささんの感性が好きですね。それは僕と同年代の作家だから、感覚が近いところがあって、共感することが多いからだと思います。
「死んだ学生はこの本能の怯えを我慢できるくらいに現実に怯えていたのだと 思うと、私なんか全然だ。」
(「インストール」より)
凄く悩んでいるはずなのに、まだ死ぬほどではないよなという感覚ですね。
「やっぱり、不器用は罪なのだ。同情という言葉で彼らに甘えて、安心してはいけないと思った。」
(「インストール」より)
人それぞれに持ち合わせている個性は尊重するべきものであるけれど、周りの流れを止めるような個性は許されない感覚ですね。
【You can keep it】
文庫版の「インストール」に収録されている小説ですね。物をあげることで他人に苛められないように取り繕う男の話です。相手に物理的な物に加えて罪悪感を与えることで自分に手を出させないようにする処世術。そんな彼も意中の彼女の存在によって価値観が変わりそうな予感を残しつつ物語は終わます。短編だけどとても引き込まれる作品ですね。ちょっと、インドへ行きたくなる。
【蹴りたい背中】
初めて読んだ時の衝撃は今でも忘れませんね。僕が胸を締めつけられながらも、夢中になって読み進めた本です。
再読してみて、当時は心理描写が衝撃的すぎて分からなかったけど、恋愛要素もあることに気がつきました。ハツはにな川に恋をしていたのでしょうか。そうでなくとも、恋に似た感情を抱いていたと感じます。その感情を「強がり」で隠していたのかもしれないですね。
「学校にいると早く帰りたくて仕方ないのに、家にいると学校のことばかり考えてしまう毎日が続く。」
(「蹴りたい背中」より)
何も興味ない振りをしながらも実際はそのことばかりを考えてしまっているやるせなさにが辛く心が締めつけられますね。
【ひらいて】
主人公の「愛」の狂気的行動には僕は共感できないけれども、目が離せませんでした。夜の学校に忍び込んで手紙を盗んだり、美雪と寝たり、「たとえ」の前で全裸になったり、ホームルーム中に暴走したりとか。
その対称的な存在として自己承認の欲望を持たず、思いやりの心を持つ美雪の純粋さが美しく際立ってきます。アドラー心理学ですかね。
題名である「ひらいて」について考えてみます。本文中に鶴を折るの「折る」の字と「祈る」の字は似ているという内容があります。物語の最後に折った鶴をひらくと、皺だらけの千代紙が現れます。「たとえ」が振り向いてくれるよう続けていた祈りを解くと、心が壊滅的になっていたことを意味しているのではないかと思いました。
『なにかを頑張るときに私のエネルギーの源になる"自分を認めてもらいたい"欲望が、彼女には欠けている。それを失くせば私は無気力になり生きていけないから、必死で守っているのに、彼女はあらかじめそれを手離し、穏やかに朽ち果てるしかないとしても、無抵抗で流れに身を任せる。他人を思う十分の一ほども自分を大切にしない。しかし傷つくときはしっかりと傷つく。私から見ればただの馬鹿だ。私はその馬鹿さにときどき泣かされそうになる。』
(「ひらいて」より)
「愛」と対称的な「美雪」。腹黒さと純粋さ。美雪の儚くも綺麗な心の持ちように美しさを感じざるを得なかったです。
【かわいそうだね?】
「かわいそう」という言葉について深く考えるようになりました。普段、何気無く使っていた「かわいそう」という言葉に醜さや自分の高慢さを感じるようになってしまいました。だから、「かわいそう」という言葉を使う時、躊躇して「困っている」に置き換えるようになったような気がします。その方が、人と対等の立場でいれるし、同情心よりも親切心で人助けの方が心も晴れると思います。
『今なら、かわいそうという言葉を嫌っていた人たちの気持ちもわからなくない。相手を憐れんでから発動する同情心は、やはりどこか醜い。みんなもっと深い慈愛を他人に求めているし、自分にも深い慈愛が芽生える可能性を信じている。困っている人はいても、かわいそうな人なんて一人もいない。』
(「かわいそうだね?」より)
【亜美ちゃんは美人】
文庫版の「かわいそうだね?」に収録されている小説ですね。綿矢りさ先生の作品の中でも個人的に好きな方になります。
美しすぎる為に何でも簡単に手に入ってしまう「亜美ちゃん」の価値観・感情を友達の「さかきちゃん」の視点で捉える手法ですね。解りやすくも奥深さを感じれるところがこの小説の魅力だと思います。自分は男だし、勿論、絶世の美女ではないけれども、「そういう気持ちになるかもしれないな」と思わせられ、深めに感情移入しました。「さかきちゃん」の視点を通して、物語の最後に亜美ちゃんの気持ちが解ります。パズルのピースがぴったりと全部収まった感覚になりました。
もう1つ、物語の最後に「さかきちゃん」の本名が「坂木蘭」であることが明らかになります。その時に違和感を感じると思います。斉藤亜美ちゃんの呼び名は「亜美ちゃん」、坂木蘭ちゃんの呼び名は「さかきちゃん」。呼び名を名前からとるか、名字からとくかでその人の立ち位置が分かってしまう。リアリティを感じて、心に冷たいものが通過した瞬間でした。
『私はただ羨んでいて気づいていなかった。反面、亜美がどれだけの孤独を抱えていたかを。ギリシャ神話のミダス王のように、触れるものすべてが黄金に変わるのなら、好意のない冷たい瞳こそが宝物になるかもしれない。』
(「亜美ちゃんは美人」より)
この物語の核心である喩えだと僕は感じます。僕はこれが伝えたかったことかなーと読み取りました。
【まとめ】
以上、綿矢りさ先生の小説6作品の個人的な感想でした。読んでいて首肯することの多い作家さんです。ここまで読んでくれてありがとうございました。