【前置き】
どうも、虫虎です。誰かの意見に流されてしまいやすい人は多いのではないかと思います。誰々が言っていたから、あの人に言われたから、あの方がこう言うから、噂があるから、とどうしても人の意見に流されてしまいがちになることは往々にしてあるのではないでしょうか。その辺のことについて考えてみます。宜しくお願いします。
【人の意見に流されること】
人の話をちゃんと聞いてその通りに行動することは、人の意見を汲んだり、読み取ったりできて、人間関係の調和を保つことができるから悪いことではないと思います。
けど、誰かに言われたからこうするんだといった盲目的な思考回路になってしまうと、人の意見に流されてしまいやすくなる人間になるという側面も表れるのではないかと思います。
【思考のクッション材を使う】
行動の理由を「そう言われたから」とするのでなくて、言われたことを、一旦自分の中で咀嚼して飲み込んでみてから、行動に移すことって大事なことなんじゃないかと僕は考えました。
頭で考えてみて、やっぱり「そう言われた通りにやろう」という判断になったならそれでいいと思います。一度考えることが大事であるのかなと思います。
【考える癖をつける】
一度、自分の頭で考えるようにする。何かの判断をしなければならない時、誰かに聞くとか、インターネット上の人の意見を参考にするのも、1つの判断材料にはなるけれども、その判断材料と自分の意見を混ぜ合わせて考えてみることも大事だと僕は考えます。
【自分の判断力を上げる】
そうは言っても、自分の判断に対して自信や勇気がなければ、自分の意思は持てないです。
だから、自分の判断基準や決断力を高める為に自己の経験値を上げる必要があるかと思います。色んなことを経験したり、本を読んで知識や知恵を吸収したり、経験値を積むことが判断力を上げると同時に自分の意見を持つことに繋がると僕は考えます。
【自分の意見を持つ勇気を持つ】
判断材料と判断力を得ただけでは足りなくて、さらに自分の意見を発するには勇気が必要になってきます。
誰かが言ったからとか誰かに言われたからこう行動したという理由付けをしていれば、失敗や間違いがあった時に責任を分散させることができる。
自分の意見を持てないのは、責任を持ちたくないという一種の逃げの姿勢もあるかと僕は考えました。
だから、自分の意見を持つことには勇気がいると思います。
【自分の意見を持つことの効用】
自分の意見には責任が伴う。それは、デメリットなのかもしれないけど、人の意見に流されてばかりだと、自分らしく生きることができないですね。そのどちらが良いでしょうか。
自分の中で判断材料を増やして、自分の意見を持ち、勇気を使って、判断を下すことができるようになると、自分というものが、言い換えると、自分の軸が作られるのかなと僕は考えました。
自分の軸があれば、自分の人生を自分らしく生きられるものなんじゃないかと僕は考えます。
【まとめ】
誰かが言っていたからではなくて、自分の頭で考えて周りの状況や人の気持ちや結果予想を想像してみてから決断する。
それは消して人の意見を無視して聞かないということではなくて、人の意見を考慮した上で自分はこうするという自分の意見になります。
自分の意見を持つことができれば、その判断が失敗や間違いであったとしても、自分の人生を歩んだことになると僕は考えます。
そして、自分の意見を持ちたい僕は日々、失敗や間違いがないように判断能力を高める必要があるのだと考えました。
意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切
(「嫌われる勇気」より)