ランニング好きライトゲーマー虫虎(小説家志望)の日記

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自責の心と他責の心

【前置き】

どうも、虫虎です。今回は自責の心と他責の心についてまとめてみます。宜しくお願いします。

 


【自責の心と他責の心とは】

まず自責の心と他責の心とは何かです。

 

自責の心とはある出来事が起こった時、それを自分の行動による自分の責任と捉える心であります。

 

反対に他責の心とはある出来事が起こった時、それを他人の行動による他人の責任として捉える心であります。

 

つまり、何か悪いことが起こり責任問題が生じた時に、自分を省みる心が自責の心で、人のせいにする心が他責の心ということです。

 

さらに言い換えると、例えば仕事で問題が生じた時、その責任から逃れようと人に責任を押し付けようとするのが他責の心、自らを省みて自分のこととして謝れるのが自責の心ということです。

 


【自責の心を持とう】

何か問題が生じた時、全てを基本的には人のせいにする心構えになっていると、結局色々なことから逃げることになります。他人のせいにして逃げていると、確かに心が軽くなって楽になるかもしれないけど、汚れが生じてしまうと僕は考えます。

 

心が汚れてくると、もう何でもかんでも無理矢理にでも誰かのせいにして解決しよう、勝手に自分を納得させようという思考回路になってしまうと思います。

 

例えば、自分の暮らしが豊かにならないのは日本政治のせいにしてみる。確かにそういう側面もあるかもしれないけど、自分の暮らしが豊かにならない原因の根本ってやっぱり自分にあるのではないかと考えてみるということです。

 

他責の心を乱用すると、最終的には周りの人が離れていってしまうこともあるだろうし、自分の心や腹の底が真っ黒になってしまいかねません。

 

だから、他責の心でなくて、自責の心を持つのがいいと僕は考えます。

 


【自責の心の持ち方】

ある問題が生じた時って、この人が100%悪いという事例もあるかもしれないけど、基本的には人との関り合いで起こることは白か黒かではなくて相手の悪いところもあれば自分が悪いところもあるといった灰色が多いのではないでしょうか。たとえ、相手が100%悪いと思えることでも、その問題を起こさないために自分ができたこともあったかもしれないのです。そういう自分の行いを省みる心が大切なのかなと僕は思います。

 

そして、これは完全に自分の失敗や落ち度であると感じたときには全身全霊素直に謝って反省して次に活かそうとする心が大事であると僕は考えます。

 

常に自責の心を持って日々を過ごすことで、心が綺麗で澄んでいる状態に保てるし、自己の成長にもなると僕は考えます。

 


【他責の心を持った人がいる】

家族や職場などに他責の心を持った人がいる場合、どうすればいいのか問題です。

 

それほど近しくない人なら距離をとればいい。しかし、近しい人となるとそうもいかないし、近しいほど相手は甘えて他責の心を発動しやすくなるという側面もあるかと感じます。そういう離れることの難しい人たちが他責の心を発動し出したらどうすればいいのでしょうか。

 

それは「自分は変わらず自責の心を持てば良い」です。

 

他人を変えることはできないです。他責の心を持った人の心を変えることは難しいです。

 

だったら、考え方を変えて他責の人が近くにいたら、冷静になって「自分の自責の心の訓練にすればいい」と考えるといいのではないでしょうか。大変なこともあるかと思いますが、自責の心を育んでいけば、心真っ直ぐに生きられるし、危険を回避する能力や問題に対処する力もどんどん強化されていくはずです。どうせならそういう自己成長の機会に当てるといいのではないでしょうか。

 

 

【まとめ】

自責の心を持つことって大変なことだと思います。理不尽だと感じてしまうことだってあるはずですから。それでもなお、自責の心を持つことで違った未来になるのかもしれないと僕は思いました。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

 

本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまう

(「嫌われる勇気」より)