【前置き】
どうも、虫虎です。子どもに図書館で借りた「はなさかじいさん」を読んでいるときに思うことがあったので、まとめてみます。宜しくお願いします。
【はなさかじいさん】
【概要】
昔々、あるところに人のよいお爺さんと人の悪いお爺さんがいた。ある日のこと、悪いお爺さんが子犬を見つけた。悪いお爺さんは助ける気もなく素通りする。次に良いお爺さんが子犬を発見し連れ帰って育てることにした。犬は大きくなると、良いお爺さんの猟に手を貸した。猪を追い込み、捕らえる手伝いをした。良いお爺さんは喜び、猪を堪能する。それを聞きつけた悪いお爺さんは良いお爺さんから犬を借りて、猟へ出掛けた。しかし、犬は悪いお爺さんの手伝いを拒んだ。それに激昂した悪いお爺さんは犬を殺してしまった。悲しんだ良いお爺さんは犬を埋めて供養した。すると、その埋めたところから大きな木が生えてきた。良いお爺さんがその木で臼を作り回してみると、大判小判がざっくざくと出てきた。それを聞きつけた悪いお爺さんは良いお爺さんから臼を借りて回した。すると、うんこが出てきた。それに激昂した悪いお爺さんは臼を燃やした。悲しんだお爺さんはその灰を持ち帰って撒いてみると、枯れ木に花が咲いた。それ偉い人が見ていて厚待遇をしてくれた。それを聞きつけた悪いお爺さんはその灰を良いお爺さんから貰い、偉い人の前で撒いてみた。しかし、灰が舞って目に入るだった。激昂した偉い人は、悪いお爺さんを処罰した。
【良いことをすると良いことが返ってくる】
良いお爺さんは、仔犬を助けることでどこからか良いことが起こっています。反対に悪いお爺さんが仔犬を無視することで悪いことが起こっています。良いお爺さんの見返りをもとめない優しさが結果的にお爺さんを幸福にしてくれたのだと読んでいて思いました。
だから、良い行いをすることは良いことであると学びました。
【テイカーと付き合わない】
見返りを求めない優しさは美徳であります。困ってる人に手を差し出したり、頼まれたことを引き受けたり、人を信じることは大切なことではあるんだけど、その相手がどんな人かを見極める能力も必要になってくるのかなと僕は思います。
本当に困ってる人なのか、どういう意図で頼んできたのか、騙そうとしてないか、と疑いの目を向けることも時には必要であると感じます。世の中には絵本の悪いお爺さんのように自分の欲の為だけに良いお爺さんの優しさを利用してくるような人もいるかもしれないわけですから。
良いお爺さんの悪いお爺さんにも優しくするというのは大変素晴らしいことで美徳ではあるんだけど、それによって仔犬を死なせてしまったわけだから、そこの人の見極めが甘かったことは彼の落ち度だったのかもしれないです。
自分を不幸にさせてくる可能性のあるテイカーとは距離を置くことも必要なことであると僕は考えます。
【人のものを奪わない】
悪いお爺さんのように人の持ってるものを羨ましがって奪おうとしてはならないです。何故なら、悪いお爺さんのようにその行為によって結果的に自分が不利益を被ってしまう場合があるし、心が汚れて人生が負のスパイラルに巻き込まれる可能性があると僕は思うからです。
【まとめ】
良い行いをすることは大切、けどテイカーとは距離をとる、人のモノを奪おうとしない、たいうことを「はなさかじいさん」から学びました。