ランニング好きライトゲーマー虫虎(小説家志望)の日記

ゲーム、ランニング、文章書き、読書、昆虫、子育て、オナ禁、映画、人間関係、音楽、僕が考えていることなどを書いている雑記ブログ

自作小説「天使の笑顔」

【天使の笑顔】

あれは高校2年の梅雨の時期だった。土砂降りの雨の日。陸上部の練習は休みになった。俺は誰もいない教室で一人で日直の仕事を済ませ、下駄箱へ向かった。
(あっ……)
下駄箱に同じクラスの豊川ゆいが一人で佇んでいた。どうやら傘を持っていないらしい。俺の心臓は高鳴る。
(どうしたもんか……)
恥ずかしながらこの歳になっても俺は女の子との会話が苦手だった。しかも、豊川ゆいは俺が密かに想いを寄せている人でもあった。高鳴る鼓動を抑えることができずに硬直していると、豊川ゆいは意を決したように土砂降りの雨の中へ飛び出していってしまった。その瞬間、思わず俺から大きな声が出た。
「待って!」女の子はびっくりして振り向くと慌てて戻ってきた。
「うわぁ、ちょっと外出ただけなのにびしょびしょだぁ」照れくさそうに笑いながら肩の雨水を払った。その顔に俺は見とれた。
「太田くん?」豊川ゆいが俺の名前を呼んだ。俺は我に返った。
「……あっあのさ、よかったら俺の傘に入る?」俺はしどろもどろになって語尾が小さくなった。
「えっ、いいの?」
「ああ、うん」
「よかったぁ。走って帰るしかないかぁって思ってたから」彼女は微笑んでくれた。俺は安堵して、急いで傘を広げた。
「ありがとう」
俺にとって女の子との相合い傘をするなんて勿論初めての経験だっだ。豊川さんと肩を並べて歩き出す。それだけで俺の頭はくらくらし出して、胸が張り裂けそうになった。雨足は強まるばかりで少しでも傘の外に出ると濡れてしまう。俺と豊川さんの肩は何度も触れ合った。
「凄い雨だね」
「あー、そうだね。豊川さん、この雨の中、飛び出そうするから勇気あるなって思ったよ」
「いや、飛び出そうじゃなくてもう飛び出しちゃってたよ」ふふと彼女が笑う度に胸が高鳴る。
「だって、傘忘れたし、誰もいないし。これは走るしかないかって決心したところで太田くんが声掛けてくれたんだよ」ギリセーフだよと豊川さんは付け加えた。
「いや、濡れちゃったし、ギリアウト」
「あっそっか」豊川さんはまた笑った。
「豊川さんって家どのへん?」
「〇〇町だよ、太田くんは?」
「俺は〇〇町」
「えっじゃあ反対方向だ。ごめんね、コンビニで傘買うよ」
「いや、今日は部活ないし家まで送るよ」
「悪いし、いいよ」
「まあ、ここまで来たら送るよ」
彼女は申し訳無さそうに僕に謝った。俺はむしろずっとこのままでもいいのにと思っていた。そんなやりとりをしつつしばらく歩くといつの間にか彼女の家の前まで辿り着いた。
「太田くん、ごめんね、ありがとう」
「いいよ、また明日、じゃあ」俺がそういうと、豊川さんは顔の横で手を振ってくれた。また、鼓動が高鳴った。俺はさっきまでの会話を反芻しながら歩いた。帰りの道、どう歩いたか記憶になかった。家につくと靴はびしょびしょだった。
翌朝。昨日の雨が幻だったかのように空は晴れ渡っていた。教室に入るとすぐ豊川さんに話しかけられた。
「太田くん、おはよう」
「あっおはよう」
彼女は俺を顔を寄せて小声で囁いた。
「昨日はありがとう。お礼にクッキー焼いたよ。机の引き出しに入れたから持って帰って食べてね」彼女はそれだけ言うと、友達の方へ走っていってしまった。俺は自分の席に座り、ゆっくり引き出しの中に手を伸ばす。覚えのない包みの感触があった。頬が高揚するのが分かった。今取り出したら誰かに見られるかもしれないと思い、鞄から教科書を取り出し、包を潰さないようにそっと引き出しに教科書を詰めた。
待ちに待った放課後だった。俺は用事をするふりをして誰もいなくなるまで教室にいた。騒がしかった教室に沈黙が訪れた。俺はそっと引き出しの中に手を入れる。そこには、今日何度も確認した包みの感触がちゃんとある。俺はそっと取り出す。包にはクッキーが5枚ほど入っていた。それと、小さな紙が綺麗に四つ折りされていた。「昨日はありがとう。よかったら食べてね。ゆい」。俺はその小さな文字にしばらく見惚れていた。ふと我に返り、急いで部室へ向かった。
それからというもの俺の彼女への恋心は膨らむ風船のように大きく育っていった。彼女を目で追いかける毎日。なんとか話しかけようと考えるもタイミングはなかなかなかった。楽しそうに友達と会話してる姿、体育で走ってる姿、教室で勉強している姿、そのどれもが俺には刺激的だった。もう、俺の風船は破裂寸前だった。そんなときにチャンスが訪れた。
この日の情報の授業はパソコン教室で行われた。出席番号順に縦から順に座っていくと、ちょうど俺の隣は豊川さんだった。俺が席につくと彼女は笑顔を見せてくれた。
「あっ太田くんだ、宜しくね」彼女の笑顔を久しぶりに至近距離で見ると頬が高揚した。俺はさっと目を逸らして、よろしくと呟いた。授業の内容は、パソコンのエクセル表に数値と計算式を入力して表を作るというものだった。先生の説明が悪いのか分からないけど、これがよく分からなかった。周りの皆も同様に何をすればエクセルが答えを出してくれるようになるのか分からず、作業が進まなかった。先生は頭を掻きながら4人ずつくらいに手取り足取り説明し直し始めた。俺と豊川さんは後ろに座っているため当分助けはなさそうだ。豊川さんは困った顔をして言った。
「太田くん、分かる?」
「いや、分からない………」前後のクラスメイトも苦戦を強いられているようだった。俺と豊川さんも色々と試行錯誤してみたが、結果は出なかった。そして、先生が来ることもなく無情にもチャイムが鳴ってしまった。
「あっ終わっちゃったね」俺は情報のエクセルの授業なんて別に気にすることでないとは思ってたけど、豊川さんは少しがっかりしているように見えた。
「ちょっと難しかったですか。とりあえず、来週も同じ内容でやります」もやもやしたまま授業は終わった。
その日の部活帰り。
「太田、帰ろうぜ。」部活仲間の出雲が声をかけてきた。
「悪い。今日は寄るところがあるから帰っててくれ」
「どこ行くんだよ?」
「本屋」俺は友達たちと分かれて本屋へ向かった。そして、エクセルの本を探すのだった。
一週間後、あの情報の授業が始まった。先生がまた先週と同じような説明をした後、入力作業に入る。同じような説明の仕方だったので、教室はすぐに混乱状態に陥った。しかし、エクセル本で授業の内容を調べた俺は違っていた。数式をはめ込み、数字を入れ込むと見事に答えが現れた。
「太田くん、どう?」やっぱり分からないねと隣の豊川さんが聞いてきた。
「俺、いけたかも」そう言うと彼女は目を輝かせて「えっ本当?」と言った。俺が勉強した成果を解説すると、彼女も理解できたらしく作業ができるようになった。
「太田、いけたの?」一つ前の席のクラスメイトも俺たちが解決した様子に気づいた。
「おう、教えるわ」俺は席の周りのクラスメイトに入力作業をやり方を伝授した。そして、席に戻り自分の作業に取り掛かった。誇らしげな気分だった。そして、時間内に作業を終えることができ、隣の彼女はとびきりの笑顔を見せてくれた。
「太田くん、本当にありがとうね。太田くんにはいつも助けてもらってるね」豊川さんは嬉しそうに微笑んだ。この笑顔のためになら頑張れる。そんな天使の笑顔だった。
情報の授業が終わり、教室を出ると麗らかな午後の陽光が窓から差し込んでいた。その日からまた俺の彼女への想いは留まることを知らずに募り続けた。
そして、ある日の部活の帰りのときに数少ないチャンスが訪れた。
「悪い。教室に教科書忘れたから先行っててくれ」俺は出雲に言った。
「いいよ、待ってるよ」
「いや、行っててくれ。なんか雨降りそうだしさ」空には一面雲が広がっていて今にも降ってきそうだった。
「そっか。じゃあ、またな」出雲を見送ると俺は急いで階段を駆け上がった。お目当ての教科書を回収して下駄箱までダッシュで降りた。
「降っちゃったか」持ち堪えていた雲は我慢の限界を迎えたのか、土砂降りの雨を地面に叩きつけていた。生憎、傘は持ち合わせていなかった。
「太田くん」俺がいつも脳内でリピートしてる声に呼びかけられて驚いて振り向いた。そこには俺の天使がいた。
「もしかして傘ない?」
「あーうん」
「じゃーーん!今度は私が救世主だね」豊川さんは腕を伸ばして傘を見せた。
「良かったら一緒に帰る?あっ出雲くんは?」
「ああ、あいつは先に帰ったよ。俺だけで遅れちゃってさ」俺は頭を掻いた。
「私も遅くなっちゃって一人で帰るところなの」そう言うと彼女は傘を広げて半分のスペースを開けてくれた。そこに俺は体を滑り込ませた。まさかの夢にまで見たようなシチュエーションだ。今度は豊川さんの傘の中に入れるなんてと、俺の心は舞い上がった。
「ありがとう、助かったよ」
「いえいえ、この前のお返しができてよかったよ」
「それはクッキーくれたじゃん」
「あっそっか。じゃあ、今度は太田くんがクッキーね」ふふふと彼女が笑った。この笑顔がたまらなく好きだった。
「この先のコンビニで傘買うよ」
「えっいいよ。家まで送るよ」
「いや、反対方向だし、この土砂降りだと悪いしさ」本当は一緒にいたかったけど、さすがにこの地面を叩きつけるような雨の中、彼女に回り道させるのは悪いなと思った。夢のような時間はあっという間に終わってしまった。俺はもっとコンビニが遠くにあればいいのにとどうにもならないことを嘆いた。
「豊川さん、ありがとう、ここで大丈夫」
「本当に?」彼女が何故か真剣な目で俺を見た。
「ああ、助かったよ」俺はどぎまぎして目を逸らした。
「分かったよ。またねー」彼女は俺に手を振ると帰っていった。その後ろ姿を見送ったあと、俺は傘を買ってから家へ向かった。傘をさしていたはずなのに家につく頃には何故だが結構濡れていた。その夜、俺はある決意をした。
「姉ちゃん」
「ん?なに?」
「今からクッキーの焼き方教えてほしいんだけど」
「は?今から?なんで?」
「いや、まあ……」俺が口籠ると姉はははーんとにやついた。
「あんたも隅に置けないじゃないの。いいよ、教えたげる」
俺は姉にクッキーの焼き方を教わりながら作った。ホットケーキミックスと卵と牛乳と砂糖があれば、それなりに美味しいものができることに俺は驚いた。小麦の香ばしい香りとともにクッキーを袋に詰めた。明日だと心に決めて。
翌朝。昨日はどうも寝付きが悪かったが、そんなことは気にしない。
「行ってきます」
「えっ?もう出るの?」いつもよりかなり早い時間に出発する俺に母さんは驚いた。
「まあまあ、何もいいなさんな」リビングのテーブルでトーストをかじっていた姉がにやにやしながら言った。俺が出ていったあと、絶対母さんにあることないこと吹き込むんだろうと予測できたけど、今はそんなことはどうでもいい。俺は自転車にまたがり、いつもの道をスピード上げて進んだ。朝早いからか車がまばらで人の気配が少なかった。すんなり学校へつくと、俺は急いで階段を駆け上がった。教室の扉を開けようと手にかけたとき、血の気が引いた。もう誰か教室に来ていた。(まずったか……)
誰もいないうちにクッキーを机に入れる俺の計画が無惨に崩れ落ちた。誰だよこんな朝早くから教室に来ているやつはと苛つきながら俺はドアを開けた。
「あっ……びっくりした。太田くん、おはよう」そこにいたのは豊川さんだった。
「えっ……と、早いね」俺も面食らった。
「うん。実はまたクッキー焼いたから食べてもらいたいなと思って。今ね、引き出しに入れたところだったの」そう言うと、彼女は俺の引き出しから包を取り出して見せてくれた。少し顔が赤らんでる気がした。
「そんなんだ。ありがとう。実は俺も作ったんだ」鞄から昨日姉と作ったクッキーの包を取り出して見せた。
「えーっ、嬉しい」彼女は明るい声を出した。そして、俺たちはお互いにクッキーを交換した。包の中には、俺の恋心を綴っだ手紙がしたためてあった。それが彼女の手元に渡ってしまった。今日中、彼女は俺の恋心を知ってしまうだろう。だったら、ここで男らしく言うべきだと俺は心を振るい立たせた。想定外の展開に心臓の鼓動が早まる。
「あのさ……」
「どうしたの?」沈黙が流れる。
「俺、豊川さんのことが好きなんだ。付き合ってほしい」目を合わせられず俯き加減になってしまったが、なんとか言えた。ちらと彼女のほうを見ると、天使は口を開けたまま固まっていた。
しばらくしてから、彼女は「嬉しい」と小さく呟くように応えた。
「よろしくお願いします」
教室には朝の光が差し込んだ。その光以上の素敵な笑顔がそこにはあった。